お雑煮
2001年1月8日もう一度、お雑煮が食べたい、という夫の
リクエストに応え、今朝はお雑煮を作った。
お雑煮には、忘れられない思い出がある。
4年ほど前の年の瀬。
当時まだ2歳だった息子が、病気のため緊急入院した。
12月30日のことだった。
私と息子は、病院の個室で年を越した。
息子にずっと付き添って看病していた私は、その日、
実家の母に交代してもらい、入浴のため一時的に
帰宅した。
三日ぶりの自宅であった。
寝そべってテレビを見ながらビールを飲んでいた夫
は、私が帰宅したことに機嫌を良くし、にこにこ
しながら言う。
「ねぇ、今年はお雑煮作ってくれないの?」
一人息子が重い病気で入院しているというのに、
家でビールを飲んでいる夫。
その上、三日三晩病院に付き添ってやっと帰って
きた妻に、雑煮を作れと言う。
私は、呆れて言葉も出なかった。
この時の気持ちは、たぶん一生涯忘れることは
できないだろう。
息子は幸い大事には至らず、半月程入院生活を
送った後、元気に退院することができた。
しかし、父親となって何年経とうとも、親になり
きれない夫の病は、おそらく治ることはない。
リクエストに応え、今朝はお雑煮を作った。
お雑煮には、忘れられない思い出がある。
4年ほど前の年の瀬。
当時まだ2歳だった息子が、病気のため緊急入院した。
12月30日のことだった。
私と息子は、病院の個室で年を越した。
息子にずっと付き添って看病していた私は、その日、
実家の母に交代してもらい、入浴のため一時的に
帰宅した。
三日ぶりの自宅であった。
寝そべってテレビを見ながらビールを飲んでいた夫
は、私が帰宅したことに機嫌を良くし、にこにこ
しながら言う。
「ねぇ、今年はお雑煮作ってくれないの?」
一人息子が重い病気で入院しているというのに、
家でビールを飲んでいる夫。
その上、三日三晩病院に付き添ってやっと帰って
きた妻に、雑煮を作れと言う。
私は、呆れて言葉も出なかった。
この時の気持ちは、たぶん一生涯忘れることは
できないだろう。
息子は幸い大事には至らず、半月程入院生活を
送った後、元気に退院することができた。
しかし、父親となって何年経とうとも、親になり
きれない夫の病は、おそらく治ることはない。
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