残り湯

2003年1月4日
先日、職場の同僚たちと雑談をしている時に、お風呂の残り湯をどう使っているかという話題が出た。
殆どの人が、洗濯に使っている、と言う中で、私は問われるまま正直に「そのまま流して捨てる」と答えた。
もったいないのに何故?と同僚たちに訊かれたが、本当の理由を言えば座の混乱を招くと思い、当たり障りのないことを言って、その場は逃れた。
「風呂の残り湯なんか、汚いから。」
これが、真の理由である。

自分と息子が入っただけの風呂の残り湯ならばいざ知らず、夫が入ったあとの残り湯を洗濯に使う気には、どうしてもなれない。
靴下とか座布団カバー、シーツなどを洗うだけならばいいかもしれない。
しかし、タオル、下着などを含む日常の洗濯物を、家族全員がかわるがわる入った風呂の残り湯で洗うことは、私にはできないのである。
たとえば、かの同僚たちも、公衆浴場の残り湯で自分の下着を洗濯する気にはなれないだろう。
それと殆ど変らぬ感覚を、自宅の風呂の残り湯に私は感じている、ということだ。
家族とはいえ、結局のところ、夫は他人にすぎない。
こういう感覚は、結婚するまで知らなかった。

プチ潔癖症。
私は、自分をそう呼んでいる。
そう認めることで、自分の面倒な性格を笑うことができるようになった。
自分がこんなに潔癖だったというのも、結婚して初めて気づいたことである。

もしかしたら、私を潔癖症にしたのは「結婚」なのかもしれない。


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