心の気密
2001年1月12日我が家は、準耐火構造で建てられている。
普通の家と比較すると、筋交いや柱の素材が
不燃性のものだったり、壁が厚かったりしているらしい。
地震や火災に強い家になる、というふれこみだった。
この家を建てた工務店の親方が、引渡しの日に
冗談とも本気ともつかぬ顔で言った。
「窒息に気をつけてくださいよ、この家は」
準耐火構造のため、気密性が高いのだという。
まさか、木造の家で窒息、などということが、
現実にあるわけがないが。
しかし、ひとつだけ、気密性ゆえの悩みがある。
トイレである。
我が家のトイレは、入って内側から戸を閉めると、
風圧で耳に軽い痛みが走る。
準耐火構造の、とんだおまけだ。
窓が数センチでも開いていれば、空気は逃げ場を
得て、家人の耳を射るようなことはない。
しかし、この冬場にトイレの窓を開けておいては
寒いではないか。
春がくるまで、我慢するしかない。
逃げ場がなくなると危険なのは、空気だけでは、
もちろんない。
ひとの生活の中にも、風穴は不可欠である。
ふだんは見えないように隠していても、ここぞ
という時は大活躍する、穴。
命の空気穴、と言えるかもしれない。
普通の家と比較すると、筋交いや柱の素材が
不燃性のものだったり、壁が厚かったりしているらしい。
地震や火災に強い家になる、というふれこみだった。
この家を建てた工務店の親方が、引渡しの日に
冗談とも本気ともつかぬ顔で言った。
「窒息に気をつけてくださいよ、この家は」
準耐火構造のため、気密性が高いのだという。
まさか、木造の家で窒息、などということが、
現実にあるわけがないが。
しかし、ひとつだけ、気密性ゆえの悩みがある。
トイレである。
我が家のトイレは、入って内側から戸を閉めると、
風圧で耳に軽い痛みが走る。
準耐火構造の、とんだおまけだ。
窓が数センチでも開いていれば、空気は逃げ場を
得て、家人の耳を射るようなことはない。
しかし、この冬場にトイレの窓を開けておいては
寒いではないか。
春がくるまで、我慢するしかない。
逃げ場がなくなると危険なのは、空気だけでは、
もちろんない。
ひとの生活の中にも、風穴は不可欠である。
ふだんは見えないように隠していても、ここぞ
という時は大活躍する、穴。
命の空気穴、と言えるかもしれない。
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お雑煮の続き
2001年1月9日昨日の日記を読んでくださった数名の方から、
あなたの夫はひどい、というコメントをいただいた。
そう思われて当然であり、そう感じるのが
正常な感覚だと思う。
我が夫は、あの一件についてまったく憶えてはいない。
それを見越した上で、昨日、他人事をよそおい、
あの日記の通りの事実を夫に話してみた。
夫は即座、
「ひどいダンナだな、それ」
と呆れ顔で言った。
自分が言ったことだとも知らずに。
人は、思うことと実際の行動が異なることは、
しばしばある。
自分のしたことでも、後になって思えば、
なぜあんなことをしたのかわからないということ
もある。
そして脳は、都合の悪いことは忘れることができる
という、都合のいい機能をもっている。
「今の話しは、あなたのことよ」
私が教えてあげると、夫は驚き、青くなったり
赤くなったりしながら、
「僕はそこまで酷くない」
と、力いっぱい主張していた。
あなたの夫はひどい、というコメントをいただいた。
そう思われて当然であり、そう感じるのが
正常な感覚だと思う。
我が夫は、あの一件についてまったく憶えてはいない。
それを見越した上で、昨日、他人事をよそおい、
あの日記の通りの事実を夫に話してみた。
夫は即座、
「ひどいダンナだな、それ」
と呆れ顔で言った。
自分が言ったことだとも知らずに。
人は、思うことと実際の行動が異なることは、
しばしばある。
自分のしたことでも、後になって思えば、
なぜあんなことをしたのかわからないということ
もある。
そして脳は、都合の悪いことは忘れることができる
という、都合のいい機能をもっている。
「今の話しは、あなたのことよ」
私が教えてあげると、夫は驚き、青くなったり
赤くなったりしながら、
「僕はそこまで酷くない」
と、力いっぱい主張していた。
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お雑煮
2001年1月8日もう一度、お雑煮が食べたい、という夫の
リクエストに応え、今朝はお雑煮を作った。
お雑煮には、忘れられない思い出がある。
4年ほど前の年の瀬。
当時まだ2歳だった息子が、病気のため緊急入院した。
12月30日のことだった。
私と息子は、病院の個室で年を越した。
息子にずっと付き添って看病していた私は、その日、
実家の母に交代してもらい、入浴のため一時的に
帰宅した。
三日ぶりの自宅であった。
寝そべってテレビを見ながらビールを飲んでいた夫
は、私が帰宅したことに機嫌を良くし、にこにこ
しながら言う。
「ねぇ、今年はお雑煮作ってくれないの?」
一人息子が重い病気で入院しているというのに、
家でビールを飲んでいる夫。
その上、三日三晩病院に付き添ってやっと帰って
きた妻に、雑煮を作れと言う。
私は、呆れて言葉も出なかった。
この時の気持ちは、たぶん一生涯忘れることは
できないだろう。
息子は幸い大事には至らず、半月程入院生活を
送った後、元気に退院することができた。
しかし、父親となって何年経とうとも、親になり
きれない夫の病は、おそらく治ることはない。
リクエストに応え、今朝はお雑煮を作った。
お雑煮には、忘れられない思い出がある。
4年ほど前の年の瀬。
当時まだ2歳だった息子が、病気のため緊急入院した。
12月30日のことだった。
私と息子は、病院の個室で年を越した。
息子にずっと付き添って看病していた私は、その日、
実家の母に交代してもらい、入浴のため一時的に
帰宅した。
三日ぶりの自宅であった。
寝そべってテレビを見ながらビールを飲んでいた夫
は、私が帰宅したことに機嫌を良くし、にこにこ
しながら言う。
「ねぇ、今年はお雑煮作ってくれないの?」
一人息子が重い病気で入院しているというのに、
家でビールを飲んでいる夫。
その上、三日三晩病院に付き添ってやっと帰って
きた妻に、雑煮を作れと言う。
私は、呆れて言葉も出なかった。
この時の気持ちは、たぶん一生涯忘れることは
できないだろう。
息子は幸い大事には至らず、半月程入院生活を
送った後、元気に退院することができた。
しかし、父親となって何年経とうとも、親になり
きれない夫の病は、おそらく治ることはない。
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本マグロ
2001年1月7日「初競りで本マグロが2千万円だっていうんだから、
本マグロって高いんだねぇ」」
夕食に出向いた和食レストランで、箸を持ったまま
夫が言う。
昨日から、本マグロについての話題が出るのは
つごう6回目くらいだ。
昨日の夕刊で初競りの記事を読み、夫は本マグロ
の値段にいたく衝撃を受けたらしい。
彼は、女房依存が強い。
自分が驚いたり感心したことについては、妻にも
共感してもらわないと、驚いた気がしないらしい。
テレビを見たり、新聞や雑誌を読んで気になるトピック
があると、
「ねぇ、○○ちゃん○○ちゃん!」
と私の名を呼びながら、必ず知らせにくる。
私が昨日からはっきりした反応をしないためか、
この本マグロの話しについては妙にしつこい。
じゃ、本マグロ以外のマグロは、にせマグロって
いうわけ?
私が故意に見当はずれの意見を言うと、夫は、
それでも嬉しそうに、
「にせ、とは言わないよ。マグロにもいろいろと
種類があるんだ」
と、したり顔で言う。
ふーん・・・なかマグロ、とか?
と、私が返すと、子どもがクスクスと笑いながら、
「それは中目黒っ!」
と突っ込む。
5歳児には、この程度のジョークでいい。
我が家の、これが団欒というものらしい。
本マグロって高いんだねぇ」」
夕食に出向いた和食レストランで、箸を持ったまま
夫が言う。
昨日から、本マグロについての話題が出るのは
つごう6回目くらいだ。
昨日の夕刊で初競りの記事を読み、夫は本マグロ
の値段にいたく衝撃を受けたらしい。
彼は、女房依存が強い。
自分が驚いたり感心したことについては、妻にも
共感してもらわないと、驚いた気がしないらしい。
テレビを見たり、新聞や雑誌を読んで気になるトピック
があると、
「ねぇ、○○ちゃん○○ちゃん!」
と私の名を呼びながら、必ず知らせにくる。
私が昨日からはっきりした反応をしないためか、
この本マグロの話しについては妙にしつこい。
じゃ、本マグロ以外のマグロは、にせマグロって
いうわけ?
私が故意に見当はずれの意見を言うと、夫は、
それでも嬉しそうに、
「にせ、とは言わないよ。マグロにもいろいろと
種類があるんだ」
と、したり顔で言う。
ふーん・・・なかマグロ、とか?
と、私が返すと、子どもがクスクスと笑いながら、
「それは中目黒っ!」
と突っ込む。
5歳児には、この程度のジョークでいい。
我が家の、これが団欒というものらしい。
おっぱい
2001年1月6日お風呂あがりに、息子が言う。
「ママのおっぱいは、ボクのものだもーん。」
これだから、ひとりっ子はいけない。
この家の土地と建物は、ゆくゆくは息子ひとり
のものになる。
私と夫が残すかもしれない僅かながらの財産は
すべて息子のものになるはずだ。
けれども、母親のおっぱいまでが自分ひとりのもの
だと思ったら、大間違いだ。
ママにはママの生き方がある。
ママのおっぱいには、いろいろなお勤めがあるのだ。
私のおっぱいの所有権について熱く語る息子に対し、
夫が何か言いたげな顔をしている。
もちろん、夫のものでもない。
これは。
「ママのおっぱいは、ボクのものだもーん。」
これだから、ひとりっ子はいけない。
この家の土地と建物は、ゆくゆくは息子ひとり
のものになる。
私と夫が残すかもしれない僅かながらの財産は
すべて息子のものになるはずだ。
けれども、母親のおっぱいまでが自分ひとりのもの
だと思ったら、大間違いだ。
ママにはママの生き方がある。
ママのおっぱいには、いろいろなお勤めがあるのだ。
私のおっぱいの所有権について熱く語る息子に対し、
夫が何か言いたげな顔をしている。
もちろん、夫のものでもない。
これは。
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ユネッサン
2001年1月5日元日、箱根の小涌谷に「ユネッサン」という
入浴施設がオープンした。
巨大な健康ランド、といった趣である。
新しいモノ好きの我が家は、箱根で年越しをしての
帰り道、さっそくこのユネッサンに立ち寄った。
オープン二日目であった。
水着に着替え、100を超えるという数のお風呂に
次々と入って遊ぶ。
やがて、夫が呟くように言った。
「今、何時だろう・・・」
私たちは、時計を求めてあちこちの壁を見上げてみた。
しかし、時計はどこにも見あたらない。
仕方なく、腕時計をはめている従業員をつかまえて
時間を訊ねがてら、時計はどこにかかっているのか
と聞いてみた。
その従業員は、困惑したような顔で答える。
「時計は、まだないんです。」
そして、いずれ取りつける予定らしいですが、と続けた。
夏場ならまだしも、冬の温泉地にダイバーズウォッチ
をつけて行くほど用意のいい客はいるのだろうか。
時計がない、ということに気づき、私と夫は忽ち
落ち着きを失った。
今回は、比較的早い時間の特急の切符を買って
しまっている。
電車の時間ぎりぎりまで遊ぼうと思って入ったが、
悠長なことは言っていられなくなった。
時間がわからず気が気ではないので、とりあえず
上がろう、ということになり、私たちはそそくさと
帰り支度を始めた。
ウィークデーは時計に支配されながら働き、
休日は時計がないことに不安を覚えて遊べない。
哀しい話しではある。
身支度を終えて外に出ると、ちょうど駅伝の選手達
が、ユネッサン前の道路を走っているところであった。
選手たちもまた、タイムを気にしてか、しばしば
腕の時計に目をやっていた。
入浴施設がオープンした。
巨大な健康ランド、といった趣である。
新しいモノ好きの我が家は、箱根で年越しをしての
帰り道、さっそくこのユネッサンに立ち寄った。
オープン二日目であった。
水着に着替え、100を超えるという数のお風呂に
次々と入って遊ぶ。
やがて、夫が呟くように言った。
「今、何時だろう・・・」
私たちは、時計を求めてあちこちの壁を見上げてみた。
しかし、時計はどこにも見あたらない。
仕方なく、腕時計をはめている従業員をつかまえて
時間を訊ねがてら、時計はどこにかかっているのか
と聞いてみた。
その従業員は、困惑したような顔で答える。
「時計は、まだないんです。」
そして、いずれ取りつける予定らしいですが、と続けた。
夏場ならまだしも、冬の温泉地にダイバーズウォッチ
をつけて行くほど用意のいい客はいるのだろうか。
時計がない、ということに気づき、私と夫は忽ち
落ち着きを失った。
今回は、比較的早い時間の特急の切符を買って
しまっている。
電車の時間ぎりぎりまで遊ぼうと思って入ったが、
悠長なことは言っていられなくなった。
時間がわからず気が気ではないので、とりあえず
上がろう、ということになり、私たちはそそくさと
帰り支度を始めた。
ウィークデーは時計に支配されながら働き、
休日は時計がないことに不安を覚えて遊べない。
哀しい話しではある。
身支度を終えて外に出ると、ちょうど駅伝の選手達
が、ユネッサン前の道路を走っているところであった。
選手たちもまた、タイムを気にしてか、しばしば
腕の時計に目をやっていた。
ファーストフード店にて
2001年1月4日繁華街のファーストフード店で、息子と二人
遅めのランチをとった。
隣のテーブルを見ると、7歳くらいの女の子が
一人でジュースを飲んでいる。
合い向かいの椅子には、少女の上半身くらい
ありそうな大きなボストンバッグが置かれ、
その上にキティちゃんの絵がついた小さなリュック
が乗っている。
母親はこの子を置いて買い物にでも行ったのだろうか。
トイレではないことはわかっている。
私が、入店してすぐに手を洗いに行った時、
トイレは無人であった。
20分も経っただろうか。
依然、少女の保護者は現われない。
何となく気になって、女の子に声をかけてみた。
お母さんと来たの?ここで待っててって言われたのかな。
すると少女は、うん、とも、ううん、ともつかぬ
曖昧な頷き方をした。
その表情は固く、取りつく島もないという感じだ。
テーブルに置かれた紙コップのジュースは、とうに
空になっていた。
さらに15分ほど経った。
少女は相変わらず一人で椅子に腰掛けている。
私は席を立つ間際、もう一度彼女に話しかけた。
一人で大丈夫?
すると彼女は、今度ははっきりと頷いて見せた。
しかし、表情は固いままである。
知らない人と話してはいけない、と躾られている
のかもしれない。
仕方なく、私と息子は店を後にした。
それきりである。
2時間後、用をすませた私と息子は、再びその店
の前を通りかかった。
私が、窓から店内を覗きこむような仕草をすると、
息子が言った。
ここからじゃ見えないよ、ママ・・
彼もまた、あの暗い顔をした女の子のことが気に
かかっていたらしい。
今頃は、家族とともに食卓を囲んで、
団欒してくれているといいのだが。
子どもをもってからというもの、一人でいる子を
見ると、何故か気になって仕方がない。
遅めのランチをとった。
隣のテーブルを見ると、7歳くらいの女の子が
一人でジュースを飲んでいる。
合い向かいの椅子には、少女の上半身くらい
ありそうな大きなボストンバッグが置かれ、
その上にキティちゃんの絵がついた小さなリュック
が乗っている。
母親はこの子を置いて買い物にでも行ったのだろうか。
トイレではないことはわかっている。
私が、入店してすぐに手を洗いに行った時、
トイレは無人であった。
20分も経っただろうか。
依然、少女の保護者は現われない。
何となく気になって、女の子に声をかけてみた。
お母さんと来たの?ここで待っててって言われたのかな。
すると少女は、うん、とも、ううん、ともつかぬ
曖昧な頷き方をした。
その表情は固く、取りつく島もないという感じだ。
テーブルに置かれた紙コップのジュースは、とうに
空になっていた。
さらに15分ほど経った。
少女は相変わらず一人で椅子に腰掛けている。
私は席を立つ間際、もう一度彼女に話しかけた。
一人で大丈夫?
すると彼女は、今度ははっきりと頷いて見せた。
しかし、表情は固いままである。
知らない人と話してはいけない、と躾られている
のかもしれない。
仕方なく、私と息子は店を後にした。
それきりである。
2時間後、用をすませた私と息子は、再びその店
の前を通りかかった。
私が、窓から店内を覗きこむような仕草をすると、
息子が言った。
ここからじゃ見えないよ、ママ・・
彼もまた、あの暗い顔をした女の子のことが気に
かかっていたらしい。
今頃は、家族とともに食卓を囲んで、
団欒してくれているといいのだが。
子どもをもってからというもの、一人でいる子を
見ると、何故か気になって仕方がない。
浴室の窓
2001年1月3日入浴後は、浴室の窓を開ける。
こんな簡単なことが、夫にはできない。
この家に引っ越して5年も経つというのに。
風呂場の話しは、ほんの一例。
夫は、言ってみれば、先天性家庭生活不適応症である。
こういうタチだけは、共に生活してみるまで読めない。
だから、結婚は博打なのだ。
彼は、テレビでCMをやっているような会社に勤務し、
都心の支社で、こともあろうに支社長をつとめている。
風呂場の窓も満足に開けられない男に、なぜ
3ケタ人数を超える部下を統括することが
できるのか。
これは我が家庭の、20世紀最大の謎であった。
今夜のこと。
ドラマに出ていた女性タレントを指して、
この娘、何ていう名前だっけ?と私が聞くと
夫は即座、
「深田恭子!深キョンも知らないの?」
と呆れたように言った。
彼は、風呂場の窓を開けることは憶えられないが、
「深田恭子」は憶えたらしい。
謎は、世紀を跨ぐ。
こんな簡単なことが、夫にはできない。
この家に引っ越して5年も経つというのに。
風呂場の話しは、ほんの一例。
夫は、言ってみれば、先天性家庭生活不適応症である。
こういうタチだけは、共に生活してみるまで読めない。
だから、結婚は博打なのだ。
彼は、テレビでCMをやっているような会社に勤務し、
都心の支社で、こともあろうに支社長をつとめている。
風呂場の窓も満足に開けられない男に、なぜ
3ケタ人数を超える部下を統括することが
できるのか。
これは我が家庭の、20世紀最大の謎であった。
今夜のこと。
ドラマに出ていた女性タレントを指して、
この娘、何ていう名前だっけ?と私が聞くと
夫は即座、
「深田恭子!深キョンも知らないの?」
と呆れたように言った。
彼は、風呂場の窓を開けることは憶えられないが、
「深田恭子」は憶えたらしい。
謎は、世紀を跨ぐ。
初詣
2001年1月2日今年は、箱根のホテルで新年を迎えた。
お正月は旅行先で、というのが我が家の恒例と
なって久しい。
大掃除もおせち料理作りもできない、自他ともに
認める仕事人間の私には、こんな新年の迎え方が
似合っているのかもしれない。
例年のことだが、お正月のホテルは満館である。
世の中は不景気真っ只中だというのに、最低でも
一人一泊25000円以上の越年の宿が、満室なのだ。
使う人は、使うのだな・・・と思う。
今や日本の庶民に「金持ち」など存在しない。
一見、金持ちに見える人は、単に「金を使う人」
にすぎない。
かく言う我が家も、その類である。
元日に、箱根神社へ初詣に出向いた。
境内は、初詣客が長蛇の列をなしている。
さすが巳年か。
辛抱のない我ら家族が、賽銭箱まで40分などと
いう果てしない行脚に耐えられるはずもなく、
行列を横目に、本道の横にひっそりと佇む
小さなお堂に手を合わせ、
これをもちまして初詣に代えさせて頂きます、
とばかりに、さっさと退散した。
お正月は旅行先で、というのが我が家の恒例と
なって久しい。
大掃除もおせち料理作りもできない、自他ともに
認める仕事人間の私には、こんな新年の迎え方が
似合っているのかもしれない。
例年のことだが、お正月のホテルは満館である。
世の中は不景気真っ只中だというのに、最低でも
一人一泊25000円以上の越年の宿が、満室なのだ。
使う人は、使うのだな・・・と思う。
今や日本の庶民に「金持ち」など存在しない。
一見、金持ちに見える人は、単に「金を使う人」
にすぎない。
かく言う我が家も、その類である。
元日に、箱根神社へ初詣に出向いた。
境内は、初詣客が長蛇の列をなしている。
さすが巳年か。
辛抱のない我ら家族が、賽銭箱まで40分などと
いう果てしない行脚に耐えられるはずもなく、
行列を横目に、本道の横にひっそりと佇む
小さなお堂に手を合わせ、
これをもちまして初詣に代えさせて頂きます、
とばかりに、さっさと退散した。
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