ノック

2002年11月14日
昨夜、和室の壁に誤って手をぶつけ、右手の中指の第二間接のところに擦り傷ができてしまった。
和室の壁紙は表面がザラザラした材質で、これまでにも何度か手や肘などをぶつけて擦りむいている。
また、やっちゃった・・・。
その夜は、適当に薬をつけて寝た。

今朝、職場に出勤し、いつも通りにロッカールームのドアをノックした。
「痛っ・・」
不覚にも、こぶしを左手で覆ってフリーズ。
ノックをすると昨夜の擦り傷の位置がちょうど当たり、ひどく痛むのだ。
中指が、ノックをする時に使うものだとは気づかなかった。
妙なことで中指の重要な役目を知る羽目になったものである。
いつも通りにノックができないことで、きょうは一日、かなり不自由な思いをした。
左手でノックをしてみたが、手に持った荷物をいちいち右手に持ち替えるのはとても面倒だ。右手は器用そうに見えて、実は補助的な作業には不慣れで、下手なのである。
手の平でノックしてもみたが、借金取りが催促にでも来たような物凄い音がしたので、あわててしまった。
仕方ないので、人差し指1本でのノックを試みた。
か細い、ささやかな音しか出ないが、左手や手の平ノックよりは使える。
しばらくは、これでイクしかなさそうだ。

寝込まれてみて改めてその存在の重要さがわかる、主婦のような存在の中指。
キーボードを叩く中指が、せせら笑っているように見える。


ただいま

2002年11月13日
夕食のあと、買い忘れた物を買うために、スーパーに出かけた。
買い物をすませて家に帰ると、リビングにいた息子がにっこり笑って、歌うように言った。
「たーだいま」
反射的に私は、「おーかえり」と返す。
一瞬後に、「あ、反対じゃない?」と息子。
彼は「おかえり」と「ただいま」の使い方を、未だよく理解できていないのだ。
小さい頃から彼は、帰宅した時に「おかえり」、帰ってきた人に「ただいま」と言ってしまうことがしばしばあった。
親というものは可笑しなもので、子どもの些細な言葉の覚え間違いが妙に可愛く思えたりして、敢えて訂正しないようなことがある。
そんなわけで、息子の「ただいま」「おかえり」のうろ覚えについては、私と夫はもとより、私の実家の両親も当然気づいているはずなのだが、誰もちゃんと教えようとしないのだ。
ひとつ言葉を習得する毎に子どもが成長してしまうような気がして、一抹の寂しさを覚えるせいかもしれない。
あ、反対じゃない?と言った後、息子は続けた。
「ママが、ただいま!」
そして私がまた、「おかえり・・・」
少し後に、息子は、
「また反対・・(^^; 」

こういう親子コントを、昔、志村けんと石野陽子がやっていたっけ。



どじょう

2002年11月12日
スーパーの鮮魚コーナーに、生きたドジョウが売っていた。
息子は、まだ生きたドジョウを見たことがない。
生まれて初めて目にするドジョウを見つめながら、息子はつぶやいた。
「そうか。これがドングリと喋るヤツか・・・」
一瞬、何の話かと思った。
どんぐりころころの歌のことらしい。
ドジョウが出てきて、こんにちは・・・・である。
まさか信じているわけではないだろうが、子どもの心の中には、ドングリとドジョウが会話する様がちゃんとイメージされているということに驚く。
おとなで、生きたドジョウを目にした時に真っ先にどんぐりころころの歌を連想する人がいるだろうか。
多くのおとなにとってのドジョウは、食べ物にすぎない。
特に、主婦にとっては。

実家の母の話では、この私も子どもの頃に、魚屋で買ってきたドジョウを柳川にして食べる夜、「ドジョウが可哀想だ」と言って泣いたと言う。

柳川鍋で泣けなくなったのは、何歳の頃からなのだろうか。
大きくなってしまったものだ。



リップクリーム

2002年11月11日
手肌や唇の乾燥が気になる季節になった。
私は夏でもリップクリームを常時携帯しているような人間なので、冬季にはなおのこと必要不可欠なアイテムとして手放せない。
急に気温が下がった先日のこと。
私は唇の荒れが妙に気になり、ポケットに入れたリップクリームをこまめにつけながら、一日仕事をしていた。
ところが、症状は改善するどころか、夕方近くなる頃には唇がひりひりと痛み始めてしまったのだ。
・・・どういうこと?
私はポケットから取り出したリップクリームをしげしげと眺めた。
買ったばかりの新しいリップクリーム。今年、新発売のものである。
原因は、これらしい。合わないのだろう。
こういうことは、しばしばある。飲み薬、保湿クリーム、化粧品、ハンドソープ・・・・。
買ってはみたが、肌に合わなくて使えなかったものが、過去にたくさんあった。
そういう自分の体質をよくわかっているはずなのに、新しい物好きな性格が言うことを聞かない。
件のリップクリームは、気前よく2本も買ってしまった。うち1本は、まだパッケージに入ったままである。
結局は、使い慣れたものに限るのだ。
アレも、これも・・・。

よく、わかってはいるのだが。


エステ

2002年11月10日
久しぶりに、エステでフェイシャルマッサージを受けてきた。
終了後、担当のスタッフに肌質を褒めていただいた。
「日頃から、何か特別なお手入れをなさっているんですか?」
と言ったあと、彼女はにっこり微笑んで続けた。
「この時期は、若い方でも肌が乾燥して固くなってしまったり、ガサガサになったりしてしまうものなのに・・・」
ここで私は、当然ながら自分がその「若い方」の範疇に所属していないことを改めて認識し、中途半端な微笑みを返してしまった。
褒められたのだか、けなされたのだかわからない感覚とは、まさにこれだ。
しかし実際は明らかに褒めてもらっているわけで、何も問題はないのである。

私は「若い頃」は、エステで肌質を褒められたことなど、一度もない。
乾燥肌でもニキビ体質でもあり、悩みは尽きなかった。
しかし、年齢とともにすべてが落ち着いたらしい。

相変わらず落ち着きがないのは、性格だけである。


2002年11月8日
数日前から、我が家に蝿が1匹、迷い込んでいる。
ここ数年、蝿はめっきり少なくなったらしい。
このあたりの住宅街ではあまり見かけることがない。
生ごみは早朝に収集され、ペットの糞も公園から消え去ってしまった現代の都会は、蝿にとっては相当に住みにくい社会なのかもしれない。
息子なぞ、ほんの1年ほど前まで、蝿とトンボと蛾の区別がつかなかった。
それくらい、蝿は珍しい虫になってしまったのである。

家の中を自由に飛びまわる蝿。
珍しいので、しばらくそのまま放置しておいたが、やはり3日4日経つうちに鬱陶しくなってきた。
いくら珍しくなっても、害虫は害虫である、ということか。
殺虫剤を手にして蝿を目で追う私に、息子は訊いた。
「どうして殺しちゃうの?」
どうしてって・・・・。
息子の国語の教科書に、
「ちょうちょが死んだ時は泣いたのに、牛や豚の肉はなぜ平気で食べるの?」と問題提起をする物語が載っていた。
トンボや蝶は駆除しないのに、蝿はどうして殺すのか・・。
答えに詰まる。

そして、我が家の蝿は、今夜もどこかの部屋で夜を明かす。

宿題

2002年11月6日
ここのところ連日、自宅に仕事を持ち帰っている。
昨日は代休だったが、結局家で仕事をした。
小学2年生の息子が、聞く。
「ママ、それ宿題なの?」
宿題。子どもらしい発想だ。
「職場にいると、忙しくてお仕事できないの」と、答えつつ、我ながら可笑しくなる。
仕事場にいる時は、忙しすぎて仕事にならない。
妙な話だが、これは本当のことなのだ。
私の仕事は、秋口から12月上旬にかけての時期がとても忙しい。
若い頃は、この時期になると、家で仕事をするために1日か2日有給休暇をとったものだ。
よく考えると馬鹿げた話なのだが、私たちの業界ではそう珍しいことではない。子育てをするようになってからは、子どものために有給を使うことが増えてしまい、さすがに仕事のために休みを取ることはなくなったが。
けれども、「宿題」はなくならない。

家に帰れば帰ったで、家事という宿題も山と積まれている。
誰も採点してくれない、宿題である。
右を向いても左を見ても、仕事がいっぱいだ。
幸か、不幸か。

衣更え

2002年11月5日
何年か前のこと。
そろそろ衣更えしなくちゃ・・・と、私がため息をつくと、職場の後輩が言った。
「うちは衣更えって、しないんですよ」
どうして?とキョトンとしながら聞く私に、彼女はにっこり微笑んで言った。
「1年中の洋服は、ぜんぶタンスに入ってるんです」
そういう手があったんだ・・・。私は、ちょっと感動した。
季節が変ったら、開ける引き出しを変えるだけでいいのだ。なんていい方法なんだろう!
同じ頃、ある先輩もこんなことを言っていた。
「タンスがたくさんある家は、衣更えなんてしなくていいのよ」
衣更えは季節の変わり目に必ずしなくてはいけない、と思い込んでいた私は、彼女たちの言葉に救われた。
衣更えをしなくて済む方法を教えてもらったからではない。そうやって家事を端折ることは罪悪ではない、と教えてもらったことにである。
きょう、我が家は1ヶ月ズレの衣更えをした。残念ながら、我が家のタンスは、家族中の1年分の服がすべて入るほどの収納力はない。最低、夏物と冬物だけは入れ替えねばならないのだ。
あとは、真夏がくる少し前まで、このままでいい。
次にタンスの中を入れ替える時は、夏休みの海外旅行の計画も済んでいることだろう。
ささやかな希望と、1年間有効の防虫剤を入れて、私はタンスの引き出しを閉じた。



釣瓶とられて

2002年11月4日
[ハリーポッターの2巻を読み終わったよ。]
息子の携帯から、外出中の私の携帯にメールが届いた。
彼はきょう、第2巻である「ハリーポッターと秘密の部屋」を読み終えてしまったのだ。
8歳の子どもが、あの分厚い本を3、4日程度で読んでしまうのである。小学2年生を侮ってはいけない。
息子が2巻を読み始めたのと同じ日に、私も4巻を読み始めたのだが、ずいぶんと引き離されてしまったものだ。私は4巻を、まだ半分も読み進んではいない。
仕方がない。仕事と家事の合間にちょこちょこと読み繋いでいる私が、時間を持て余している息子に敵うはずがないのだ。
しかし、このままでは困ったことになる。
この調子でいけば息子は3巻の「アズカバンの囚人」も早晩読み終えてしまうだろう。
ということは、4巻に息子の手が及ぶのは時間の問題だ。
それは困る。私の4巻では、クィディッチワールドカップの決勝戦がまだ始まったばかりなのだ。
急いで読んでしまわなければ・・・。
日記など書いている場合ではない。

ついこの前オムツが取れたと思ったのに。
ついこの前まで補助輪付きの自転車に乗っていたのに。
ついこの前までママと一緒の布団でなければ寝られなかったのに。
その子が、ハリーポッターを読んでいる・・・・。

子の成長の速さに、親の方がついて行けない。
読書の速さにさえも。

温泉

2002年11月3日
仕事が一段落して以来、ぐっすり熟睡できるようになった。
我ながら現金な性格である。
土曜日から1泊で温泉に行ってきた。
海が見える露天風呂で、沈む夕日を眺めながら湯に浸かっていると、つい数日前までの緊迫した精神状態の日々が遠い昔のことのように思えた。
私は、気持ちの細い人間だとつくづく思う。
あのような圧迫感のある仕事が三つ四つ続けば、私は間違いなく壊れてしまうだろう。
それでも、この仕事を本気で辞めようと思ったことは一度もない。
仕事に傷つけられ、そして仕事に生かされている。
温泉の湯に身体を浮かべ、せめてもの開放感を貪った一夜であった。



2002年10月31日
仕事がきょう、やっと一山超えた。
昨夜は、番号の書かれたカードを1から順に並べ替える夢を見た。
ここ2週間ほど、そんな夢ばかり見てしまい、熟睡できない日々が続いていた。
こんな自分を、つくづく弱い人間だと思う。

そんな理不尽な疲れを強いた仕事の結果が、きょう出た。
結果は良好であった。
高評価をいただき、それだけで妙な達成感を味わっている自分を客観的に見つめ、自分の弱さをあらためて思い知る。

あさっては、温泉に一泊で出かける。
痛んだ羽を、半分だけ伸ばしてこようと思う。



シュレッダー

2002年10月29日
「何か恥ずかしいもの、ない?」
息子がたずねる。
彼の手には、先日届いたばかりの手動式シュレッダーが握られている。
銀行の企画で、月々の積立預金で貯めたポイントでもらった景品である。
前々から欲しかったシュレッダーが、こんな方法で手に入るとは思わなかった。渡りに船とは、このことだ。

シュレッダーが届いた日、息子は小躍りして喜んだ。
新しい機械にすぐに夢中になる性格は、私譲りらしい。
その日のうちに息子は、家中のクレジットカードやNTTなどの請求書類数年分をすべて粉々にしてくれた。
そんな不毛な作業を嬉々として進めながら、息子は訊いた。
「どうして、こういう紙はシュレッダーして捨てるの?」
誰かに見られたら恥ずかしいから、と、私は答えた。
以来息子は、家の中で何かのメモやDM葉書などを見つけると、必ず、
「これ、恥ずかしい?」と聞くのである。
そしてクローゼットから、ウキウキしながらシュレッダーを持ち出してくるのだ。
今夜は帰宅するなり、ポストに届いていたプロバイダの請求書をシュレッダーした彼は、さらなる「恥ずかしい物」を探している。

恥ずかしい物。
シュレッダーに入らない物ならば、いくらでもあるんだけど・・・。


ご褒美

2002年10月28日
学校に出向く用があったため、午後は仕事を早退した。
今夜は、久しぶりに料理らしい料理をした。
ここのところ仕事がとても忙しいため、我が家の夕食は連日外食や実家で食べさせてもらうなど、お寒い状況が続いていた。

夢まで冒す、この超多忙な日々も、11月いっぱいでひとまずケリがつく。
仕事が片付いたら、何をしよう。
気持ちは、12月に飛ぶ。
大きな買い物でもしようか、と考えた。
何でもいいから、目標が欲しかった。
この仕事が終わったら貰える、自分へのご褒美を作りたい。
あれこれ考えた結果、息子と二人で小旅行をすることにした。
夫の了解を得て、きょうホテルの予約も済ませた。
これで、いい。あとは、働くだけだ。
12月になったら、思い切り羽をのばせる。
今はその畳んだ羽を、せいぜいこき使うことだ。

私も、自分で自分に褒美を与えられる歳になったようだ。



惚気話

2002年10月25日

私にハリー・ポッター全巻を貸してくれた知人が、私に本を貸してくれる時にご主人の話をしてくれた。
ハリー・ポッターは、もともとご主人が買ってきた本なのだという。
ご主人は、3冊のハリー・ポッターシリーズを、なんと一日で完読してしまったそうだ。
「夫はね、本を読む時は、朝からウイスキーを片手にリビングのソファーに座って、ずーっと読んでるの。他のことは何もしないで、ただひたすら一日中本を読んでる。本を離すのは、食事の時とお風呂の時だけなのよ」
それはそれは・・・・と、私は思った。
ダンナにリビングで一日中ゴロゴロされていては、家族は、鬱陶しくて仕方がないだろう。
しかし、彼女はにっこり笑って続けた。
「そこがね、夫の唯一いいところ^^」
・・・・・長所だったのね(^^;

大学生の息子さんが二人もいる女性の、この完全なるのろけ話に、私はちょっぴり感激した。
いいご夫婦なのだろう。
ご夫妻が続けて読んだという「ハリー・ポッター」を、私は有難くお借りして読んだ。


ハリーポッター

2002年10月24日
「ハリー・ポッター」を読みたい、と息子が言い出した。
私は1巻から3巻まで読んだが、すべて知人から借りて読んだため、持ってはいない。
本気で読むのなら買ってやってもいいが、息子はまだ小学2年生である。
あの分厚いハリー・ポッターを1冊でも読み切ることができるだろうか?
字が小さいのよ。
さし絵なんか描いてないからね。
漢字もいっぱい出てくるし。
文字ばっかりの本なのよ。
私は、思いつく限りの脅しをかけて、息子の決意を確かめた。
彼はしかし、そんなことは重々承知らしい。
ふぅん、おもしろい。8歳の子がどこまであの本を読めるものか、挑戦させてみよう。
私は息子を連れて、図書館へ出かけた。

図書館の書棚には、ハリーのシリーズは1冊も見あたらない。
端末で検索をかけると、すべて貸出し中という結果が出た。カウンターでたずねてみたが、予約がいっぱいで当分借りられないとのことであった。
そのカウンターの後ろの予約書庫には、かの「炎のゴブレット」が燦然と輝いている。
「炎のゴブレット」は昨日発売になったばかりだ。
この手があったのか。
早朝から書店に並んで買った人がいるかと思えば、図書館で早くから予約して読む人もいる。
本を読む人も、いろいろだ。

結局、本屋で「ハリー・ポッターと賢者の石」を買うこととなった。
どうせ第1章で飽きる、と、たかをくくっていたが、意外や息子は順調に読み進んでいる。
テレビもつけずに本を読みふけっている息子の姿を、私は唖然としながら眺めた。
これも、ハリーの魔法なのかもしれない。

いい男

2002年10月23日
仕事関係の人たち数人と、連れだって外出した。
交差点で信号待ちをしていると、すぐ横の車道に暇そうな消防車が1台、赤信号で止まった。
他にすることもないので、私は信号が変わるのを待ちながら、ぼんやりと消防車を観察した。

交差点を渡ったあと、誰に言うともなしに私が、
「後ろの席にいた消防士、いい男だった・・」とつぶやくと、次の瞬間、私の近くにいた女性たち3、4人がいっせいに頷き、口々に言った。
「そそ、後ろの人」「タイプだった」「あの人、イケてる」・・・

こういう時だけは、気が合うんだから・・・。
オンナって。


ユニクロ

2002年10月22日
初めて、ユニクロへ行った。
今時こういうことを人に言うと、やはり驚かれるのだろうか。
これまで何故かユニクロには縁がなかった。家の近くに店舗がないし、何となく食指が動かなかったのも事実だ。みんなが買いに行く店には興味が湧かない、というB型的気質の表れだろうか。

きっかけは、義母が息子のために買って送ってくれた、ユニクロのTシャツだった。
悪くなかった。
きょうは仕事から早くあがったので、ふと思いついて、息子を連れて出かけた。「初めてのユニクロ」である。

プライスを見て、驚く。噂には聞いていたが、本当に安い。
息子などは、あからさまに「安いねぇ!ママ」を連発している。
もの珍しさも手伝って、私たちは店内をぐるぐると何周も歩き、結局13点も買い込んでしまった。
最後のカーディガンをかごに入れて、私が、
「よーし、きょうはこれくらいで勘弁してやろうか」
と言うと、かごを下げて私の後ろを歩いていた息子が、
「勘弁してやってくださいよ、もう」
と苦笑している。
ここのところ猛烈に仕事が忙しかった私は、この超衝動買いでだいぶスッキリ気分を味わうことができた。

疲れたら、ユニクロ。
ユンケルよりも効くかもしれない。心には。

絵画制作

2002年10月21日
朝、息子が憂鬱そうな顔をして言う。
「ぼく、熱ない?」
額に触ってみる。熱があるどころか、冷たいくらいだ。
ないわよ、と言ってやると、彼は残念そうに、
「あるような気がするんだけどなぁ・・」と言いながら、しきりに自分の手の平を額に当てている。
彼が発熱を期待する理由はわかっている。きょうは、図工の授業で、先日の遠足の絵を描く予定なのだ。
息子は、絵画制作が苦手である。
1年生の頃から、絵を描く授業の日は学校を休みたがる傾向があった。
もともと、勉強は嫌いではない。
特に算数が得意で、1時間目から5時間目までずーっと算数だといいのに、と言うほど好きなのだが、反面、絵画に対するコンプレックスも大きい。
絵画制作も算数も、生まれついてのセンスがものを言う。
それが、この世に生まれてたった7、8年でこれほどまでにはっきりしてしまうものなのかと思うと、なんだか可笑しく、そして哀しい。

苦手な科目も嫌いな科目も、避けずに学ばなければならない。
少なくとも、義務教育を受けている間は。
人生も同じである。
好きなことだけやって生きていける人はいない。
それを最初に学ぶのが、小学校というところなのかもしれない。
何度もため息をつきながら、息子はランドセルを背負って玄関を出て行った。
その後ろ姿に母は、声にならないエールを送った。

2002年10月20日
息子を連れて、電車で外出した。
行きに、最寄駅構内の本屋で息子に本をねだられた。
小学校低学年向きの、軽い読み物のシリーズである。自宅に1冊だけあり、息子のお気に入りの本になっている。
マンガではないし、いいだろう・・。
約1000円のその本を1冊買ってやって、電車に乗った。
電車に乗ると息子は、着席するなり本を開いて読み始めた。そして、目的地に着くまでの約30分足らずの間に、1冊すべて読み切ってしまったのである。
あー、面白かった!と、何度も繰り返しながら、息子は満足顔で電車を降りた。

そして、帰り道。
駅ビルの書店で、私はまたあのシリーズを1冊、息子に買わされる羽目になる。
そして行き同様、彼は車中でまた1冊読み終えてしまったのだ。

このシリーズは、全巻30冊だという。年に2冊のペースで新しい本が出ているということなので、まだ増え続けているのだろう。
この勢いで、シリーズ全巻買わされたのでは、たまらない。
金額もさることながら、狭い我が家では、置き場所に困る。

夕食後、息子はこんなことを言い出した。
「今年、サンタクロースは何をプレゼントしてくれるかなぁ(^^)」
何をお願いしたいの?と訊ねたら、息子はあのシリーズのタイトルを言う。
「30巻全部欲しいな^^」
咄嗟に私は、それはもらえないと思うよ!と即答してしまった。
置き場所がないからね、と理由付けまでして。
すると、物分かりのいい息子は「ああ、それもそうだね」と、軽く納得してくれた。

サンタクロースがすべての子どもの家庭の事情をお見通しであることを、
どうやら彼は知っているらしい。

芝居

2002年10月19日
加藤健一事務所の芝居を観た。

加藤健一の、三枚目と二枚目の神業的な演じ分けは実に見事である。
彼は、観客に有無を言わせぬ迫力で、一瞬のうちにそれを切り替えることができる。
昔、つかこうへい氏が加藤健一について、
「あいつは、見せ方を知っている。天性だ。」と語っていた文を読んだことがある。
持って生まれた天分を、職業に生かせた人は幸いであると思う。

「バッファローの月」
10月18日(金)〜11月3日(日)
下北沢・本多劇場にて


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