激やせ

2003年4月17日
冬物のセーターを抱えて、クリーニング屋に行った。
店内に一歩入って、自分の目を疑った。
カウンター内にいる女性はたしかにいつもの女性店主のはずなのだが、別人のように痩せているのだ。
以前の彼女は、かつての泉アキを思わせるようなふくよかな女性だった。
おそらく20?以上は痩せたのではないだろうか。
会計をしてもらっている間に、思わず、
「お痩せになりましたね」
と声をかけてしまった。
ふだん私は、他人の痩せた太ったについてはできるだけ言葉にしないことにしている。
しかし、きょうは言わずにいられなかった。
「病気していたんですよ」
彼女は苦笑する。
やはり病気か・・・。
痩せたくてこんなに痩せられるはずがない。
病気で痩せた、と言う彼女は皮肉にも、太っていた頃よりも何歳も若く綺麗に見える。

おだいじに。
何回か、そう声をかけてクリーニング店をあとにした。


湯布院

2003年4月13日
「湯布院温泉のお湯って、紫色なんだね!」
お風呂上りの夫が、上機嫌で言った。
温泉の色が紫?
そんな話は、聞いたことがない。
「誰がそんなこと言ったの?」と、夫に訊いてみた。
すると夫は、すまして言う。
「湯布院っていう入浴剤をお風呂に入れたんだ」
さっきスーパーで買ってきた、温泉の元入浴剤のことらしい。
浴槽を見に行ってみた。
たしかに、お湯の色は紫色になっている。
「さすがに九州の温泉は違うなぁ!」
夫はしきりに感心している。
まさか、本当に湯布院温泉のお湯が紫色だと思っているのではないでしょうね・・。
おそるおそる確認してみると、夫は完全に、湯布院のお湯は紫色だと信じ切っている。

かねてから、騙されやすい人だとは思っていた。
私と結婚しちゃったくらいなのだから。
しかし、ここまでとは・・・・。
明日は草津温泉の元を入れてみよう。
草津温泉は緑色だと言い出すだろうか?

そういう夫が、ある意味、羨ましい。


マニア

2003年4月9日
4月1日付けで私たちの部署に転勤してきた職員のひとりが、ネット通らしいという情報が入った。
その先輩と退勤時にロッカールームで一緒になったので、私の方から話しかけてみた。
私より5歳ほど年上の彼女は、本当にネットが好きらしい。
話題がパソコンに及ぶや、目をキラキラさせ始め、語る言葉に力がこもるのがわかった。
独身の彼女は、一人暮らしの自宅で、実に3台のパソコンを常時接続しているのだという。
どうして3台も繋いでいるんですか?と訊ねたら、チャットやゲームサイトに複数のアカウントで同時に入るためなのだという。
そこまで訊いて、
「先輩もマニアですねぇ!」
と感嘆すると、彼女は、
「でも、あなたのように、旅行先にまでパソコンを持って行くほどのマニアじゃないわ」
と、にっこり笑ってバッサリ斬ってくださった(^^;

あなたにマニアって言われたくないわ。
彼女もそう思っただろうが、私も思った。

先月から半蔵門線と東武伊勢崎線が直通運転になったので、きょう、電車ファンの息子を連れて記念乗車してきた。
渋谷と三越前で途中下車し、食事をしたり買い物を楽しんだ。
千疋屋で、ティータイム休憩。
息子はメロンシャーベットをオーダーした。
息子はメロンが好きらしい。
スプーンで掬ってシャーベットをひとくち食べ、息子は目を輝かせて言った。
「ママ、これはね、そこらのメロンシャーベットとは違うよ」
そこらのメロンシャーベット、とは、メロンの形をしたプラスチック容器に入ってスーパーなんかによく売っている、あのメロンアイスのことを指すのだろうか。
私もひとくち味見をさせてもらった。
新鮮な、本物のメロンの味である。
そこらのメロンシャーベットとは違うでしょう。
息子はもう一度言って、にっこり笑った。
たった8歳にして、彼はそこらの味とちょっと高級な味の違いを、何処でおぼえたのだろうか。
何事も経験である。
複数の種類を食べ比べてみなくちゃ、味の違いはわからない。
不味いものも、美味しいものも、食べてみることに意義がある。

食べ物だけではないけれど・・・。

旅行

2003年4月4日
あせっている。
GWまであと一ヶ月を切ったというのに、まだ旅行先が決まらないのだ。
もちろん、今さらGWの旅行を決めているのではない。
迷っているのは、夏休みの旅行である。
我が家の夏の旅行は、例年ならばGW終了までにはその計画と予約を完了している。
ところが今年は、もう桜が咲いてしまったというのに、まだ目的地さえ決まっていないのだ。

半年ほど前まではシンガポールに行く計画を立てていた。
しかし、国際情勢に暗雲がたちこめ始めて、シンガポール計画は頓挫した。
海外は、怖いかも・・・。
そこで次に浮上したのが、沖縄。
しかし、やがて沖縄の線も消え、いっそオーストラリア・・・。
さらに、家庭内でああでもないこうでもないという議論を繰り返した結果、今有力候補地となっているのが北海道と九州である。
要するに、どこでもいいのだ。
どこでもいいのに、どこでもだめ。

戦争とテロと肺炎が怖くて、我が家の空想は世界中を彷徨い歩く。
甚だ脳天気に。


ブレーキ

2003年4月3日
職場の休憩室で、同僚が自転車で怪我をした時の話をしていた。
坂を下っている途中で、ブレーキのワイヤーが突然切れたのだという。
やっぱりあるんだ・・・そういうことって。
恐ろしさに、震えがくる。

しばらく前にも、別の知人に同じような話を聞いたことがある。
自転車のブレーキワイヤーって、切れることがあるんだ・・。
びっくりした私はすぐに、自分の自転車を自転車屋さんに持ち込んで点検してもらった。
さいわい私の自転車は異常なしであったが、自転車屋のおじさんはこんなことを言っていた。
「ブレーキっていうのはね、突然に切れることはないんです。必ず何か予兆がある。ブレーキがカタカタするとか、利きが悪くなるとか。予兆が出たら、持って来れば大丈夫です」

なるほど、物事にはたいてい予兆がある。
予兆の段階で手を打つことが大事なのだ。
何事も。
自転車屋のおじさんに、大事なことを教わった。


問題は、予兆に気づくほど、そのことに注意を払っていられるかどうかということだ・・。


4000円

2003年4月2日
今朝、職場に着いて通勤用のバッグを開けたら、見覚えのない封筒が入っているのに気づいた。
中身を見ると、お金が入っているではないか。
何、これ・・・。
しばし、呆然としてしまった。

朝は時間がなかったためそのままバッグに戻した封筒を、帰宅してからじっくりと見てみた。
封筒は某信用金庫のものだった。
オモテには私の字ではない鉛筆書きで、3040と書かれている。
入っていたお金は千円札が4枚。
お金と一緒に、私の書いたメモが1枚入っていたが、4000円とは関係のない内容だった。
私が誰かから預かったお金なのだろうか?
あるいは、返してもらったお金?
3040と書かれてありながら、4000円入っているのは何故?
いくら考えてもわからない。
謎は深まるばかりである。

初めは、誰かが自分のバッグと間違えて私のバッグにこの封筒を入れてしまったのかとも思ったが、中に私の書いたメモが入っていることから、その線は消える。
それでは、いったい何のお金なんだろう・・・?
気味が悪いことこの上ない。

なし崩し的に新年度を迎えてしまったために、ここ数日、職場は上を下への大騒ぎだ。
激動の日々にあっては、些細な出来事は頭の中を右から左へと虚しく通過してしまう。
私も、職場全体も、混乱している。
4000円のお金の出所と行き場所が、さっぱりわからないほどに・・。

ぼーっと謎の封筒を眺めているうちに、笑い出したい気持ちでいっぱいになってしまった。
このまま迷宮入りになってしまったら、このお金で何を買おうかな・・・。
わけのわからない4000円に、少しだけ希望をもらった。

絶頂

2003年3月31日
きょうで、今年度も終わり。
明日からは、嫌でも新年度である。
まったく、月日というものは容赦ない。
我が職場は、今まさに忙しさの絶頂にある。
何から手をつけたらいいのかわからないほど忙しい。

「ああ、こんなに忙しいなら死んだ方がマシよ・・」
夕方、女性の上司が独り言を言っていた。
彼女の「死んだ方がマシ」を聞くのは、先週から数えて5回目だ。
「死んじゃダメ、死んじゃダメ」
周囲で仕事をする部下たちが心得よろしく、仕事の手を休めぬまま呪文のような呟きで応える。

死んだら、今夜の家族のごはんを作る者がいなくなる。
朝干した洗濯物だって死ぬ前に取りこまなきゃ。
キッチンには洗い物も残してきた。

働く人妻は、死ぬ暇さえない。


今あなたが死んだら、よけいに仕事が増えるでしょ。
みんなの本音は、そこかもしれないが。

第六感

2003年3月30日
先日、職場の女性上司と二人きりで話す機会があった。
話の流れから、上司がふとこんなことを言い出した。
「私ね、すごーく勘がいいの・・・」
人の考えていることやしようとしていることが、わかってしまうのだと言う。
「これって、嫌なのよ」
便利なのではなく嫌だという気持ちは、よく理解できる。
私も、似たような性質をもっているからだ。

私も、子どもの頃から異常に勘がいい。
私の場合は、人が嘘をついている時や何かを隠そうとしたり誤魔化そうとしている時に、非常に敏感に反応する。
どんなに上手に演技されても、本能が嗅ぎ分けてしまうのだ。
この第六感のおかげで私は昔から必要以上に、哀しい、淋しい思いをしてきた。
こんな能力に長けていても、辛い思いをするばかりで得をすることなどまったくない。

特に、仲のいい友達や家族、恋人の嘘と隠し事は100%見破ってしまう。
そのために若い頃は、周囲の人々と、しなくてもいい喧嘩をずいぶんと繰り返してきた。
大人になった今変わったことは、それとわかっていても指摘をせずに、静観することができるようになったことだ。
しかし、私の第六感が嗅ぎつけた「嘘」や「疑」「偽」は、必ずいずれ明かされることとなる。
私の望むと望まざるとにかかわらず。
そして、その時は、「ぜんぜん気づかなかった」と言い切る能力もいつのまにか身に着けた。
その私の「偽」が、相手に通用しているかどうかは、定かではないが。

気づかない方がいいこと、知らないままでいた方がいいことはたくさんある。
ぼんやりと騙されていた方が、人は幸せに生きられる。


2003年3月29日
早咲きの桜が咲き始めてから、葉桜に変わる頃までが、私の仕事は一年中でもっとも忙しい時期である。
都心の桜は今、五分咲き。
忙しさも、いよいよ最高潮というところだ。

仕事のストレスは、やってもやってもキリがないというタイプの忙しさに巻き込まれている時に、特に強く感じるものらしい。
普段から忙しい職場だが、この時期だけは、登っても登っても頂上が見えない山を登っているような不安感と苦しさに苛まれる。
のんびりお花見ができる身分になる頃、私は何歳になっているのだろう?

桜って、綺麗なんだろうな。
この時期に咲くのでなければ・・・。

レストラン

2003年3月26日
きょうは仕事が休みだったので、久しぶりに映画を観に出かけた。
最近では、指定席がネットで取れる品川プリンスシネマに行ってしまうことが多くなった。
映画の前に、トップ・オブ・シナガワのデザートブッフェでランチをする。
年に何度か訪れるレストランだが、くるたびに雰囲気が変わっていく感じがして、少し淋しい。
きょうは、赤ちゃん連れの若いママがとても目立った。
店内には乳幼児がいっぱい。
あちこちで、皿やフォークを落とす「がちゃん」という音や、小さな子が走り回る音が響く。
高校生とおぼしき女の子グループも多い。
以前は、もう少し落ち着いた雰囲気だったのに・・・。
大皿に盛り付けられたケーキは、テーブルに並ぶそばから、すぐに空になってしまう。
料理の取り方のマナーも、めちゃめちゃ。
床には、おしぼりの袋や食べこぼしが散乱している。
もう、苦笑するしかなかった。

思い出のお店だったんだけどな、ここ・・・・
自分の思い出までも散らかされてしまったようで、ちょっぴり悔しい思いでランチを終えた。


喧嘩

2003年3月25日
深夜、すさまじい怒鳴り声で目が覚めた。
どこかで男性同士が怒鳴りあいの喧嘩をしているらしい。
我が家の隣のブロックに、タクシー会社がある。
怒鳴り声はタクシー会社の駐車場の方から聞こえてくるようだ。
半分寝ぼけながらも、男性たちの声に神経を集中させてみたが、何を言っているのかまったく聞き取れない。
しかし、怒りに満ちた言い合いであることは容易にわかった。
そんな言い合いが20分以上続いただろうか。
突然、甲高い女性の声が轟いた。
「静かにしてくださいっ!何時だと思ってるんですかっっ!!」
一瞬にして、あたりは静寂の闇となる。
そのあとは、物音ひとつ聞こえなくなった。

何時だと思っているのか、という女性の声に完全に目を覚ましてしまった私は、起き上がって時計を見てみた。
3時半だった。
確かに、住宅街の真ん中で大の大人が怒鳴りあいの喧嘩をすべき時間ではない。
しかし、小気味いいことこの上ないではないか。
全身の力をふりしぼったような男性の怒鳴り声は、輪郭がぼやけて何を言っているのかまったく聞き取れず、一方で近所の女性が窓を開けて叫んだらしい声は夜の空気を劈き、男二人の怒声を一瞬で制しつつ凛と響き渡る。
二人の喧嘩男が、先生に叱られた幼児の如く、シュンと萎む姿が目に浮かぶようだ。

やはり、女は強い。
問答無用の底強さが、女にはある。

青年座

2003年3月22日
劇団青年座の第166回公演「乳房」の中浦伊作役を、病に倒れた西田敏行氏に代わり、山野史人氏が演じている。

私は山野さんの20年来のファンである。
初めて山野さんの舞台を観たのは、高校に入学したばかりの頃だった。
精悍なイメージと独特な響き方の声をもつ山野さんに、15歳の私は一目惚れしてしまった。
劇団宛てにファンレターを出したところ、山野さん自身から丁寧なご返事をいただき、何度かやりとりをさせていただいた。
やがて、公演のたびに花束を持って楽屋を訪ねるようになった。

山野さんの奥様が女優の初井言榮さんだと知ったのは、それから2年ほど経った頃だった。
山野さんが13歳も年上の女性と結婚していると知って、少なからずショックを受けた私は友人に、
「ねぇ、男の人って、13歳年上の女性と女子高生と、どっちがいいと思う?」
などと、きわめて愚かしい質問をぶつけてみたりした。
たしかに当時の私は、押しも押されもせぬ女子高生であった。
友人は半ば呆れ顔で、
「目的によるんじゃないの?」
と言い、私は言葉を失った。

一度だけ、山野さんの楽屋で、まだお元気だった頃の初井さんと鉢合わせをしてしまったことがある。
山野さんは奥様に私の姓を言って紹介してくださったが、初井さんは初対面の私の名前をご存知で、
「○○さんね?こんにちは」と言いながら厳しい笑顔で私を一瞥した。
場の空気を察した私はただちに退散することにし、ロビーに待たせておいた男友達の所に小走りで戻った。
その初井言榮さんが亡くなって、もう10年以上になる。
時の経つのは、本当に早い。

きょう青年座に電話をして「乳房」のチケットを予約した。
電話口で対応してくれた劇団員の女性と、今回の公演の配役変更について少し話したあと、私が、
「いろいろなことがありますね・・」
と言うと、女性も電話口で、
「本当にねぇ、いろいろなことがあります」
と返した。

片方だけのピアス

2003年3月21日
初めてピアスを開けたのは19歳の時だった。
その時に開けたのは、右耳だけ。
すぐに左を開けなかった理由は、痛かったから。

ピアスを開けてしばらくたった頃、恋人がヨーロッパに3週間の卒業旅行に行くことになる。
つき合い始めて間もなかった私たちは、3週間ものあいだ離れ離れになるのが辛くて仕方がなかった。
出発前に、彼は私にピアスをひとつプレゼントしてくれた。
「ぼくが旅行から帰るまで、はずさないで」
と、彼は言った。
ピアスは肉体の中に装着する唯一のアクセサリー、と以前私が話したことがあったのを彼は憶えていたのだ。
だから指輪ではなくピアスを選んだ、と彼は言った。
純情だった私は、彼のピアスを右耳につけて片時もはずさずに、彼が帰国する日を指折り数えて待った。

その恋人と別れて数年後、私は左耳にもピアスを開けた。
6年間の交際中に彼からプレゼントされた沢山の片ピアスが、やっと使い物にならなくなり、妙にホッとしたのをおぼえている。

口腔外科

2003年3月19日
今、ある症状で、大学病院の口腔外科に通っている。
生まれてからこれまで、ずいぶんいろいろな診療科にかかってきたが、
口腔外科というのは初めてである。
私は、どちらかといえば、身体が弱い。
幼い頃はさほどでもなかったが、10代以降はいろいろな病気をし、
またその疑いをかけられては病院にかかってきた。
小児、内、外、産婦、整形、歯、耳鼻咽喉、眼、泌尿器、神経、皮膚、循環器、脳外。
これまでに、これだけの診療科にお世話になった。
検査のために2回か3回通っただけの科もあれば、入院して手術を受けたところもある。
それに、今回の口腔外科が加わった。
あと残っているのはリハビリテーション科と麻酔科くらいだろうか。
およそ総合病院にあるほとんどの科は制覇(?)したといえるかもしれない。
決して自慢できたことではないが。

医学に支えられて生きている。
その感謝の気持ちは、いつも忘れない。
でも、医学がいつも正しいとは限らない。
その疑念も、忘れまい。

ちなみに、あそこの口腔外科のドクターは、若くていい男が多い。
医者にしておくのはもったいないようなのも、何人かいる。
関心のある方には、直メで病院名をお知らせします(^^)


いるわけないか。

祝・キリ番

2003年3月18日
踏んじゃいけない、踏んじゃいけない、と自分に言い聞かせていたのに、
結局、自分で踏んでしまった。
あっ・・・・と思ってあわてて足をあげたって、もう遅い。

カウンター・3000番
おめでとう、自分・・・(--;)

ま、そんなものだ。


ピアス

2003年3月17日
先日夫に、ホワイトデーのプレゼントは何がいいか、訊かれた。
無難なところで、「ピアスにして」と私は答えた。
先週は忙しくて買いに行く時間がなかった夫は、きょう会社の帰りに買ってきてくれることになっている。

昨日、アクセサリーボックスを整理したら、イケナイものを見つけてしまった。
私の誕生日に、夫が買ってくれたピアスである。
半年前にプレゼントされた時のままのパッケージに入っていた。
まだ一度もつけていないのだ。
あらら、たいへん・・・
私は急いで、耳のピアスを取替えた。
これで、よし。

いっぱいあるのに、もっと欲しい。
いらなくなったのに、まだ捨てない。

こんな私は、プチ悪妻。


おかたづけ

2003年3月16日
午前中、息子にひとつの提案をした。
子ども部屋に散乱するおもちゃ類を片付けたら、お小遣い100円とガチャガチャ1回。
息子は喜んで私の提案に乗り、ゴミ袋を手に張り切って自室に入った。
こういうやり方を「小遣いで子どもを釣っている」と、非難する向きもあることだろう。
息子は明らかに私と夫の血を引いており、整理整頓が苦手である。
おかげで我が家はリビングも子ども部屋も、常時息子のガラクタだらけだ。
よその家庭では、こういう場合は子どもを叱りつけて片付けを強要するのだろうか。

厳格な父親に育てられた私は子どもの頃、室内や勉強机の上をきちんと整理できないことで、父に何度もかなり厳しく叱られた。
学校から帰宅したら、机の上に置いておいた物がすべて床に投げ落とされていたこともあった。
怒鳴られて、涙をぬぐいながら片付けをしたこともある。
そして、そんな子ども時代の経験は、ささやかなトラウマとなった。
家庭をもった今でも、リビングやキッチンが散らかっていると、突然誰かが乱入してきて私を罵倒するのではないか、という恐怖に苛まれて落ち着かない。
今や、老いた父には可哀想でこんな話はできないけれど。

叱られ、罵られ、強要されてする仕事より、
目標をもち、周囲の感謝や何らかの報酬を楽しみにしながらする仕事の方が、質の高い結果を生む。
たとえ、同じ作業でも。

約30分後、息子はガラクタでいっぱいになったゴミ袋を下げて、意気揚々とリビングに戻ってきた。
ぼく、頑張ったでしょう(^^)
にこにこしながら、ふくらんだゴミ袋を自慢そうに見せる息子を、私は大いに褒め、約束のお駄賃を与えた。
気持ちのいい日曜日だった。

クロレラ

2003年3月15日
少し前から、宅配の牛乳をとっている。
正確には、牛乳ではなく乳製品。
1種類では飽きるので、2種類のものを1日おきに飲めるよう、交互に配達してもらうようオーダーした。
1本は、LG21。もう1本は、クロレラである。
このクロレラが、残念ながらあまり美味しくない。
オーダーする前に試飲したので、味はわかっていた。
しかし栄養価的には、クロレラは私に必要なのだ。
薬だと思って飲んでいる。
美味しいのは1日おきでいいの、と自分を戒めつつ。

好きだからといって、そればかり求めてはいけない。
何事も。
結婚生活も同じようなもの。
あっちあってこその、こっちなのだ。

そして、美味しいものは少しの「お預け」があるからこそ、さらに美味しくなる。

ホワイトデー

2003年3月14日
いけない、きょうはホワイトデーだった!
夜になって、突然思い出した。
朝までは、ちゃんとおぼえていたのに。
ネットにつないだらカードも届いていたし・・・。

きょうは、夕方、全社一斉に異動内示の発表があった。
悲喜こもごもに揺れる職場を後にして、物思いに耽りつつ家路を急ぐうちに、ホワイトデーのことなどすっかり忘れてしまったのだ。

あわてて上着をひっかけつつ外に出て、自転車に飛び乗った。
目指すは、バレンタインに息子にチョコレートを贈ってくれた息子の同級生の家だ。
お返しのプレゼントとカードは、ずいぶん前から息子と二人で用意してあった。
ホワイトデーのことなどすっかり忘れて、いつになく早寝をしてしまった息子の代わりに、私がプレゼントを続けに行かなければ・・・。
私は、自転車をとばした。
同級生の住むマンションに着き、彼女が息子にそうしてくれたように、郵便受けの中にプレゼントを押し込む。
あの子は、きょう中に気づいてくれるだろうか。
どうか気づいて欲しい。

帰り道、自転車を走らせながら考えた。
私はどうしてこんなに息子のバレンタインのお返しにこだわっているのだろう?
たかが小学生のお遊びなのに・・。

それは、もしかしたら、私がオンナだからだろうか。
理解できてしまうからかもしれない。淡い期待を抱きつつホワイトデーを心待ちにする、女のコの気持ちを。

この世に生まれてたった8年の我が家の新米オトコは、まだ色気より眠気らしいが。

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