賞状

2003年9月26日
「ママ、見て見て!」
夜、私が帰宅するや否や、息子が満面の笑みをたたえてあるものを見せに来た。
小さな楯と賞状である。
息子は今年の4月から、本人の希望で珠算教室に通っている。
楯と賞状は、その珠算教室で3ヶ月にわたって行われたベストテンという名前のコンテストで、息子の総合得点が教場内で第1位だったことに対するものであった。
今回のベストテンで、新参者の息子が諸先輩方をさしおいて優勝に輝いたことは教場だよりで知ってはいたが、このような楯や賞状などをいただけるとは考えてもいなかった。
親の私はもとより、息子は今、天にも昇るような思いだろう。

息子は、小さい頃から体育系が苦手だ。
そのため運動会、マラソン大会、水泳授業などの舞台では、常に地味な存在であった。
さらに絵画製作はもっと苦手ときている。
したがって、彼はこれまでの8年の人生において、何かで「1位」になったり「賞状」をもらったり「優勝者」として発表された経験など一度もなかったのだ。
息子の得意はただひとつ。算数だけである。
その算数好きが高じて飛び込んだ珠算の世界で、初めて彼は、はっきりと目に見える形で「人に勝つ」ことを経験することができたといえる。
それはそれは嬉しいに違いない。
スポーツが得意で、絵画などの才能をもったお子さんたちならばあまり珍しくもないであろう「賞状」というモノ。
我が息子にとっては、初めての宝物である。

こんないいことがあったんだ・・・。
そろばんなんて習ってもあまり意味がなさそうだし、と初めは習わせることに気乗りしていなかった私も、今回のことで珠算教室に通うということの意味を再確認した。
ここは、息子が大いに活躍できるステージなのかもしれない。
何にせよ、そろばんを習うことで息子が自分に自信をもてる機会が得られるのであれば、それでいいではないか。
この半年間で6回の検定試験に合格してきた息子の頑張りを、誉めてやらなければ。
どんな人間にもひとつくらい得意なものがあるものなのだな・・・・と、素朴な事実に感心している。



持ち物

2003年9月23日
息子が学校から遠足のお知らせをもらってきた。
持ち物の項目を見て、一瞬目を疑う。
弁当、水筒、敷物、おしぼり、タオルなど定番の持ち物に混じって「靴」とある。
靴?
履いて行けばいいんでしょ?
初めはそう思ったが、息子に話を聞くと、どうもそういうことではなさそうだ。
履いて行く靴の他に、もう一足持参すべしという意味なのである。
遠足に靴を持って行くなんて聞いたことがない。
よく見れば、その他に「着替え一式」という項目もある。
パンツと肌着、靴下まで持って来いとのこと。
まるで一泊旅行だ。
たかが近県の公園に遠足に行くのに、着替え一式と靴まで持って行くだなんて、昨今の小学校の遠足はどうなっているのだろう?

目的地の公園にはアスレチックがある。
きっと、池などもあるのだろう。
過去にこの公園に遠足に行き、池の中だか水溜りだかに落ちて、全身ずぶ濡れになった児童がいたのかもしれない。
どの子がそんなおマヌケな事態に陥ってもいいように、全員に着替え一式と靴を持参させる。
転ばぬ先の杖としては、完璧だ。

お弁当と靴を同じリュックに入れることに抵抗を感じた私は、きょう息子に新しい靴を買ってやった。
そして、子どものリュックサックに持ち物一式を詰めてみたが、8歳の子どもの小さなリュックはやはり満杯状態。
この上にお弁当箱と200円分以内のお菓子が入り切るとはとうてい思えない。
[じゃ、ボストンバックで行く?」
半分本気で言いたくなってしまう。
来年の持ち物欄に「枕」や「洗面道具一式」なんて項目が増えていなければいいのだけれど。



パン

2003年9月19日
あのパン、どこ行っちゃったんだろう?
昨日の朝、突然あのパンのことを思い出した。
数日前、仕事の帰りに職場近くのパン屋に寄ってパンを買った。
その店のデニッシュはとても美味しく、私のお気に入りだ。
レジでパンを載せたトレーを出すと、レジの女性が、
「これ、サービスです」
と言って、ビニール袋にくるまれたパンをひとつトレーに載せてくれた。
この店は夕方遅くに買いに行くと、たまにこういう1品サービスがある。
おまけというのは、いくつになっても嬉しいものだ。

翌朝、朝食に、その店で買ったデニッシュを食べた。
息子も私が買ってきたカレーパンを食べた。
その時点では忘れていたのだ。あのサービスのパンの存在を。
昨日の朝になって、突然に「あのパン」のことを思い出した。
そういえば、あのパンどこ行っちゃったんだろう?
キッチンやダイニングテーブルなど、思いつくかぎりのところを探したが、パンの行方は杳として知れない。
ただでもらった物とはいえ、ないとなると気になるものだ。
念のため夫にも聞いてみたが、朝食を食べない夫がパンのことなど知るわけはなかった。
息子も知らないと言う。もともと私が出した物以外は食べない子なのだ。
となると、あのサービスパンはどこに行ったのか?
第一あのパンは何パンだったのだろう?
クリーム系だったのか、デニッシュ系だったのか、はたまた調理系だったのか。
せめてそれだけでも知りたかった・・・・。

疲れている。
ここのところ、仕事が超ハードなのだ。
眠っていても仕事のことが頭から離れないし、帰宅して家事やっている時もずっと仕事のことを考え続けている。
頭も身体もくたくたに疲れまくった主婦が牛耳る家の中は、今、混乱の極みである。
パンがどこに行ったかわからなくなるくらいに。
私が知らず知らずのうちに食べちゃったとか?
あるいは間違って捨てちゃったのか?
間違えて冷蔵庫にでも入れてしまったとか?
考えても考えてもわからない。

それにしても。
もう何日も掃除機をかけていないことや洗濯物がかごに溢れていることなんかより、サービスでもらったパンの行方に拘ってしまうあたり、やはり私はどうかしているのかもしれない。
さきほど鏡で自分の顔を見たら、心なしか目が据わっているように思えた。

結局、パンの行方は迷宮入りである。
今頃、家の中のどこかで化けているかも・・・・。


息子のケータイ

2003年9月14日
息子のケータイを機種変更してきた。
彼は小学一年生の時から、H"のいわゆる「安心だフォン」を使っている。
2年近く使っているせいかここのところ不調を感じることが多くなったため、機種変に踏み切ることにした。
「安心だフォン」とは、あらかじめ登録された3ヶ所にしか発信できないという制限付きのPHSだ。
息子はこの制限付きがいたく不便だったらしく、かねてから、
「ぼくのケータイ、不安だったらいいのに」
としきりにぼやいていた。
彼は自分のケータイ「安心」に対して、普通のケータイを「不安」と呼ぶ。

他社の携帯と違い、H"は販売されている機種と台数が限られており、端末の価格が高い。
軒並み1万円近いのだ。
秋葉原の電気店を回りながら、ちょっとため息が出てしまった。
安い機種でも6000円くらいする。
最近出たカメラ付きなど、15000円。
使うのは8歳の子どもなのだ。高い端末を持たせるのは、ある意味危険でさえある。
今度はカメラ付きがいいな、と夢を見ていた息子も、店頭でプライスを見て驚いたらしく、二度とカメラ付きとは言わなくなってしまった。
ドコモの新規だったら、カメラ付きでも2800円くらいからあるというのに。
時代は変わったものだと思う。
昔はPHSなんかタダで配られていたものだが、今や携帯の方が安く手に入るのだ。
価格に目がくらみ、ドコモかauあたりの携帯にしちゃおうかな、と一瞬迷ったが、H"のライトメールという機能に未練が残る。
他社の携帯には決してない機能である。
やはり、H"でなくちゃだめ。
何軒かの価格を地道に調査するうちに、裏通りの店に安価で機種変できる古い機種がまだ残っていることを知った。
よかった・・・・(-.-;)
型落ちとはいえもちろん二つ折だし、カメラこそ付いていないが、他の機能は何ら遜色ない。
機種変更を終えた後、さっそく息子と二人でファーストフード店に入り、オンラインサインアップなどの手続きや各種設定をしてやった。
息子は大感激である。
着信音も壁紙もダウンロードできる!
E-mail も送れる!
写真が見られる!
確かに、さっきまで彼が使っていた写真も表示できない機種から比べたら、雲泥の差だ。
息子の好きなクルマの壁紙とアニメソングの着信音をダウンロードしてやると、彼は大喜びしていた。

素朴でいいな・・・と、そんな息子の姿を見て微笑ましく思う。
自分も初めてケータイを持った時は、こんな感動をおぼえたはずだった。
初めからカメラ付きの機種を使っている高校生や中学生たちにはわからない感動なんだろうな。

帰宅後、息子と二人で一晩かけて新しいケータイをいじくりまわして遊んだ。
嫌味ではなく、素直に、
「新しいケータイって、いいねっ(^^)古くても」
と、息子はしきりに言っている。


永久歯

2003年9月13日
きょうまた、息子は歯科医院で乳歯を1本抜いてもらった。
もう何本目かわからない。
乳歯というものは、永久歯に生え変わるために自然に抜け落ちるのが普通だが、息子の歯は何故か自然に抜けてくれないのだ。
それでも永久歯は当然ながら時期が来れば待ったなしで生え始め、下から乳歯を押し上げながら勝手な場所に頭を出してしまう。
それをそのまま放置しておくと歯並びに悪影響が出てしまうので、そのつど歯科医院で邪魔になった乳歯を抜いてもらわなければならない。
体質でしょう、と歯科医は言った。
乳歯が自然に抜け落ちにくい体質というのがあるらしい。
息子はもう慣れたもので、麻酔注射も抜歯もまったく怖がらない。
乳歯は永久歯と違い、歯科医の手にかかればあっさり簡単に抜けてしまう。
麻酔などかけなくてもいいのでは、とさえ思ってしまうほど、いとも簡単にである。
今回はこれまでの前歯と違い初の奥歯だったのだが、同じことだ。

止血のための綿を取り外したあと、息子の口の中を見てみた。
先ほどまで歯茎の横から頭を出していた永久歯が、抜歯した乳歯の座に納まろうと僅かに位置をずらしたのがわかる。
なるほど・・
人間の身体はすごい。

夜になってから今一度息子の口の中を覗いてみて、驚愕した。
くだんの永久歯は、今やすっかり定位置に納まりかえっているのだ。
もう何日も前からそこに生えていますよ、とばかりにである。
今朝までそこには確かに別の歯が生えていたはずなのに・・。
乳歯が席を譲り渡したとたんに、勝手に引越しをしてくる永久歯の図太さに恐れ入った。
まるで、本妻が家出をしたとたんに我が物顔で自宅に上がりこんでくる愛人のようではないか。
人間の身体とは、実にうまくできているものだ。



妻たち

2003年9月9日
先日、仕事先で偶然に学生時代からの友達に会った。
時間がなかったので立ち話しかできなかったが、短い時間にいろいろな話をし、久々の再会は大いに盛り上がった。
学生時代の友達は、いい。
話しているうちに、18、19の頃にあっというまに戻ることができる。

別れ際に、今度はゆっくり逢おうよ、ということになった。
同じ仲良しグループだった別の友達も誘って。
それじゃ、いっそ旅行に行こう!子連れで。
お互いに子どもたちも同い年だし、ちょうどいい。
話はすぐに決まった。
私たちは、それぞれに仕事をもっている。
自由になるお金がある妻たちは、夫に相談もせずに旅行の計画を立てる。
しかも子どもを連れての旅行だ。
その日以来、仲良し3人でメールをやりとりし合い、旅行の計画は着々と進行している。
それどころか、秋の旅行の次にはスキーにも行こう!などと、もうその先の計画まで立ち上がり始めている。
言うまでもなく、どの計画でも夫たちは留守番だ。
自由になるお金がある人妻は、時間や人生さえも自由にすることができるらしい。
自分もその中の一人でありながら、冷静に考えると、ちょっと不思議な気分になってくる。



アナハイムのディズニーランドで事故があった。
ビッグサンダーマウンテンが走行中に脱線したのだという。
死者が出る大惨事であったことをニュースで知り、ディズニーリゾートの大ファンの私としては、少なからずショックを受けた。
私は過去に2度アナハイムのディズニーランドを訪れているが、今回事故を起こしたビッグサンダーマウンテンには乗ったことがない。
初めて行った時は、カリフォルニアでは珍しい雨天に当たって運転中止だったし、2度目に行った時は混んでいて乗れなかったのだ。
「あれは危ないと思っていたんだ」
アメリカには2度とも一緒に行っている夫が、テレビのニュースを見ながら、したり顔で言った。
「東京ディズニーランドのビッグサンダーで、ぼくはおでこをぶつけた。あれは危ないアトラクションなんだ。」
おでこぶつけたの?
ぼんやりと私が聞くと、夫は呆れたように、
「忘れたの?隣に乗っていたじゃない。しばらくの間それをネタにして笑っていたじゃない」
と言う。
そうだったっけ?
言われてみれば、確かにそんなこともあったような気もするが。
第一、子どもが生まれる前に夫と二人でディズニーランドへ行ったことがあること自体、忘れていた。
ディズニーランドには、これまでにいろいろな人と出かけた。
一緒に行った人の数を数えたら、40人は超えるかもしれない。
夫も、その中のひとりなのだ。
ビッグサンダーでおでこをぶつけたくらいのアクシデントなど、私はもはやおぼえてはいない。
そんな昔の出来事を忘れた私に呆れる夫より前に、
死者が出るほどの事故と、車体が揺れた拍子におでこをぶつけた自分のドジを結びつけて、
「あれは危険なアトラクションだ」と決めつける夫に、私は呆れる。



スイミング

2003年9月5日
小学3年生の息子が、学校のプール検定で25メートルを泳ぎ切り、4級に合格してきた。
この奇蹟に、我が家はちょっとした騒ぎになった。

この夏前まで、息子はまったくのカナヅチだった。
昨年の夏、7メートルをやっと泳いで6級に合格したものの、それ以上泳げるようになる見込みはまったくなかった。
私は水泳が苦手で、息子に泳ぎを教えることなどできない。
夫も泳ぎはそう得意な方ではない。
もともと体育系は苦手な息子。
保育園の頃からプール遊びには劣等感をもっていた息子。
この夏も6級のまま終わるのだろうか。
クラスメートが次々に5級4級の検定に受かっていく中で、このまま取り残されていくのか・・
そんな不安にかられていた夏休み前のある日。
息子が学校の帰りに、1枚のチラシをもらってきた。
スイミングスクールの夏休み短期講習のチラシだった。
これだ!
気乗りしない息子をあの手この手で説得し、とうとう4日間の短期講習に通うことを承諾させた。
1日1時間の講習を4日間受けたところで、急に泳げるようになるとは思えない。
しかし、息子はもう3年生。
溺れる者は藁をもつかむ、とはこのことかもしれない。
水に対する抵抗感だけでもなくなってくれれば、それでいい。
最初はその程度しか期待していなかった。

短期講習は、あっというまに終わってしまった。
仕事がある私は息子のスイミングについて行ったことがないので、毎日どんな練習をしたのか、どれほどの上達をしたのかまったくわからない。
しかし、スイミングから帰ってきた息子から、きょうはクロールの練習をした、きょうは背泳ぎを習った、などと聞くと、それなりに成果は上がっているように思える。
学校の次の検定は夏休みの終わり。
12.5メートル泳ぐことができれば5級だ。
受かるとはとうてい思えないが、本人は「受かりそうな気がする」などと言って夢を見ている。
よしよし。わずかながらでも自信とやる気をもってくれればいい。
そんなこんなで迎えた、夏休み終わりの検定日。
息子は、あっけなく5級に合格してきた。

さすがである。
息子がではなく、スイミングが。
ただお金を取らないよね・・・と、実家の親や夫はしきりに感心していた。
教える人が教えれば、あんなカナヅチ君が12.5メートルを泳げるようになってしまうのだ。
すごいすごい、とみんなが褒めちぎる中、昨日、この夏最後の検定が実施された。
その検定で息子はなんと、25メートルを泳いでしまったのだ。
奇蹟が起きたとしか言いようがない。
彼は、息継ぎができない。
それはまだ習っていないのだ。
本人は、一度も息継ぎをせずに泳いだのだと主張している。
息継ぎをしないまま8歳の子どもが25メートルを泳ぎ切ることができるものだろうか?
とにもかくにも、25メートルを泳げば4級は合格だ。
息継ぎができようができまいが、4級は4級。
息子の水泳帽には4とはっきり書かれた緑色のシールが貼り付けられている。
緑色は、上級者を表わす色らしい。
カナヅチだったあの子が4級?
人生とは、何が起きるかわからないものだ。

ここ数日、息子の話はプールのことばかり。
水の中で遊ぶことの楽しさを、やっと知ったのだから無理もない。
今月から、息子はスイミングの定期コースに正式に入会した。
どれほど上達するものかわからないが、とりあえず彼は今、水泳に燃えている。
まったく人生はわからない。
あっぱれスイミング。
彼に新しい世界を与えてくれたスイミングスクールに、ただただ感心するばかりだ。


誕生日

2003年8月30日
「明日はママのお誕生日よ」と息子に言ってみた。
すると彼は、
「あっ、そうだね!じゃ、何かプレゼント買おう」
そして、さらに言う。
「ママのお金でいい?」
仕方ない。
息子にはまだお小遣いというものを与えていないのだ。
息子は明日、近所の店で私に何か買ってきてくれるそうだ。
私のお金で。

「気持ちだけもらう」という言葉は、こういうケースにもあてはまるかもしれない。


コインロッカー

2003年8月26日
昨日の夜、九州旅行から帰ってきた。
長崎、ハウステンボス、福岡と三都市を移動した。
暑かった。
実に、暑かった。
長袖を着ていた東京の生活から、一転、猛暑の九州に乗り込んでしまい、身体が慣れるまでに時間がかかった。

「どうして死体は入れちゃいけないの?」
長崎駅のコインロッカーで、息子が訊いてきた。
ロッカーの扉の裏に、使用上の注意事項として「入れてはいけない物」が箇条書きになっているのだ。
息子が指す先を見れば、火薬だの動物だのという項目に混じって確かに「死体」と書いてある。
どうして死体はいけないの?
息子がまた訊く。
どうしてって、当たり前でしょう、そんなの。
答えながら、どうして当たり前なのか考えてみた。
当たり前であるはずなのに、うまく説明できない。
言葉にして説明しようとすると難しいこと、ってあるものだ。

荷物

2003年8月19日
我ながら、すばらしいアイデアだと思った。
そのことに気づくまでは。

いよいよ明日から5泊6日の九州旅行である。
今回の旅行ではホテルを3ヶ所移動する。
ついては、家族3人分の荷物が問題となった。
個人旅行なので、現地での移動は電車や路線バスなど公共の交通機関を利用することになるため、海外旅行用の巨大なスーツケースを使ってしまうと現地で辛い思いをすることになる。
そこで、私は名案をひねり出した。
荷物はキャリーバッグとボストンバッグに分割しておさめる。
キャリーバッグには泊まりに必要な諸々グッズと1泊分の着替えを詰めて、1泊目のホテルに宅急便で送りつける。
さらにボストンバッグには二日目以降に使う着替え類すべてを詰め、2軒目のホテルに送る。
そして二軒目のホテルをチェックアウトする時に、ボストンバッグとキャリーケースの中身を入れ替えて、ボストンバッグには洗濯物とそれまでに買ったおみやげ類を詰めて、東京に送り返してしまうのだ。
こうすれば、移動する時に持ち運ぶのはキャリーバッグ1個だけでいい。
私ったら、なんて頭がいいのっ(^^)
横着で軟弱な私ならではの名案だ。

さて、出発を二日後に控えた昨夜。
私は一軒目のホテルに送るキャリーバッグを自転車の荷台に載せて、コンビニに向かった。
そのコンビニで、私はショッキングな事実を知る。
きょう出すと、荷物が九州に到着するのは21日、つまり3日後になるというのだ。
そんなぁ!
21日といえば、私たちがそのホテルをチェックアウトする日ではないか。
「きょうって月曜日でしょうっ?どうして木曜日まで荷物が着かないの?」
と、若いアルバイト店員に食ってかかっても埒があかない。
宅急便は出した翌日には着く、という定説を信じていた私が愚かだった。
今回は、九州なのだ。
私は再びキャリーバッグを自転車に乗せると、家にとって返した。
そして、キャリーの代わりに今度はボストンバッグを自転車に載せると、急いでまたコンビニに戻る。
2軒目のホテルに送る荷物も今夜中に送らなければ、それさえも間に合わなくなってしまうのだ。
ボストンバッグの発送を無事完了すると、私はまた急いで家に戻り、今度はキャリーバッグを何とかするためにパソコンに向かった。
九州まで送るのが無理ならば、せめて羽田まで送りたい。
都内がちょうど通勤ラッシュに当たる時間帯に、あのキャリーを引きずって地下鉄やらモノレールやらに何度も乗り換えながら羽田まで行くのはきつい。
ネットで空港宅配の会社を見つけ出し、申し込みフォームに記入する。
よかった、間に合うらしい。
ただし、私は明日も出勤のため集荷に立ち会うことができない。
そこで、集荷先を実家に指定することにした。
ネットでの申し込みが終了すると、今度はキャリーを実家に運ぶために私は家を飛び出した。
再び自転車の荷台にキャリーを載せ、実家へ向かってひた走る。
すべてのコトが完了して自宅に帰りついた時、すでに10時半をすぎていた。

ところで、昨夜は我が家の二軒隣の家の門の前で、その家の娘さんとカレシらしい男性が立ち話をしていた。
私が最初にコンビニに荷物を持って行った時から、最終的に実家に荷物を送り届けて帰宅するまで、彼らはずっとそこで私の怪しい行動の一部始終を見ていた。
大きな荷物を自転車に載せて出たかと思うとまた持ち帰ったり、違うバッグを運んで行ったかと思えば、また最初の荷物を運び出す、などというわけのわからない行動をする私を、彼らはさぞかし不思議に思いながら見ていたに違いない。

我が家が九州から帰ってくるまでに、
「あそこの奥さん、とうとう別居したらしいわよ・・」
などという噂が町内に広がっていないことを祈りたい。


寒さの夏

2003年8月16日
東京はきょうも雨。
ここ三日間降りっぱなしである。
気温も低く、寒くてたまらない。
外に出る時は長袖の上着が必要なほどである。
93年の冷夏の時でも、これほど寒かった記憶はない。
今年の夏は、どこに行ってしまったのだろうか?
みんなしてヨーロッパに?

来週の水曜日から5泊6日の九州旅行に出かける。
私の嫌いなパッキングタイムが、またやってきてしまった。
会津旅行の気持ちの整理も、荷物の整理もまだすんでいないというのに。

自分が目先のことにとらわれがちの性格だということがよくわかる。
思いつくまま荷造りをしていると、自然と長袖や厚手の服ばかりをバッグに詰めてしまうのだ。
いけない、いけない。
オーストラリアに行くわけじゃないのだ。九州、九州。
来週からは暑くなる、とあてにならない天気予報も言っていることだし。
でも、また寒くなったらどうしよう・・・。
いやいや、猛暑だったら・・・・。
悩めば悩むほど、衣類を中心に荷物は増える一方だ。

サムサノナツハオロオロアルキ。
宮沢賢治の気持ちが、ちょっとわかる。


母親

2003年8月14日
数日前のこと。
仕事の帰り道に自転車で走っている時、数十メートル前で女性が自転車で横転しているのを目撃した。
女性は背中に小さな子どもをおんぶしており、必死で立ち上がろうとしているのだがバランスが取れずなかなか立ち上がることができないらしい。
その母親を「ママー!ママー!」と叫びながら、小学生低学年くらいの女の子が二人がかりで一生懸命に助け起こそうとしている。
道幅の狭い車道の端っこ。今にも車にひっかけられそうで危ない。
私の少し前を自転車で走っていた見ず知らずの女性が自転車を乗り捨てて助けに走った。彼女に続いて私も駆けつけた。

助け起こされた女性は、屈託のない笑顔で何度もお礼の言葉を口にした。
見ると、背中の男の子がぎゅっと左耳を押さえて泣いている。
坊やが怪我をしたのでは?と訊ねると、母親はこともなげにこう言った。
「この子は目が見えない子なので、耳を押さえるのが癖なんです」
ハッとして反射的に背中の子を見た。
男の子は、一度も目を開けない。
目が見えない子。
風邪をひいている、とでも言うかのように軽い調子で母親が言ったその言葉は、とてつもない重みを携えていた。
かける言葉が見つけられないまま戸惑っている私たちに、小学生のお姉ちゃん二人が小さな頭をぺこぺこと下げ、
「助けてくれてありがとうございました」と言った。

がんばれ、ママ。

あと、子どもをおんぶして自転車に乗る時は、ヒールの高いサンダルはやめようね。


女湯

2003年8月10日
「森の遊学」ツアーから、さきほど無事帰ってきた。
台風を道連れに出かけたこともあって、さまざまなアクシデントに見舞われたけれど、とても楽しい3日間だった。
では、アクシデントのひとつをそーっと告白・・・。

私たちの泊まったホテルには、館内の大浴場の他に、敷地内にもうひとつ「白樺の湯」という名前の外場がある。
しぶい造りでとても気持ちのいいお風呂らしいので、雨の中、傘をさしてトコトコ出かけて行った。
女湯の暖簾をくぐって戸を開けると、正面に洗面台があった。
洗面台の前で左に折れると、そこに脱衣かごがおさまったロッカーがある。
雨のせいか、女湯には誰もいなかった。
今のうちに、早く入っちゃお・・・。
まず、ズボンを脱いだ。
そこで、ポケットにティッシュのゴミが入っているのに気づき、ゴミ箱を求めて何気なく洗面台の前へ歩いて行った。
ゴミ箱にゴミを捨て、ふと出入り口の方に顔を向けると、あろうことか、戸の外にいる男性と目が合ってしまった。
どういうこと??
あわててロッカーに戻ったものの、時すでに遅し。
女湯の入り口の戸は素通しのガラスが入っており、洗面台の前に立つと、男湯から出てきた男性から丸見えなのだ。
幸い、たたんだバスタオルを腰に当てていたので、大公開とはならなかったけれど、どう見ても可笑しな光景だったに違いない。
目が合った時の男性のびっくりした表情が目に焼きついてしまった(^^;

ま、いーやね。
ちょっとサービスってことで・・・。

・・・喜ばれてないかも。

パッキング

2003年8月3日
旅行は好きだけど、パッキングは嫌い。

今週末、某旅行会社企画の、「森の遊学」というツアーに家族で参加する。
夫がぜひに、と言うので、無理やり休みを取って、発売早々に予約をした。
「森の遊学」とは、言ってみれば、キャンプと林間学校とリゾートの美味しいところだけを取ってくっつけたような企画である。
家族でカレーライスを作ったり、川遊びをしたり、ホタル鑑賞をしたり。
さらにキャンプファイヤー、バーベキュー、ウォークラリー、工作教室あり。
しかし宿泊は温泉付きのリゾートホテルで、朝夕食はホテルバイキングだったりする。
要するに、アウトドアしたいけど用意が面倒、リゾートしたいけどのんびりするだけじゃ子どもが飽きる、などと言う我儘な家族連れにはもってこいの企画なのだ。

きょう、ツアーの行程表が届いた。
「用意していただく持ち物」の欄を見て、目の前が暗くなるのを感じた。
軍手、エプロン、懐中電灯、かかとが締められるビーチサンダル、カッパ、その他もろもろ。
やっぱりね・・・。
プチとはいえ、アウトドア。準備する物がとても多い。
旅行にはいつも電車で出かける我が家は、荷物はすべて宅配便で事前に宿泊施設に送るのが恒例。
今週の金曜日には出発するので、パッキングのリミットは水曜日だ。
キャリーケースとボストンバッグだけで、これだけの荷物が納まるだろうか?
頭の中を、荷物の山がぐるぐるめぐる。
パッキングはまだいい。
片付けは、もっと嫌い。
遊ぶ時はみんな一緒なのに、どうしてパッキングは私の仕事なの?
納得いかない。

遊ぶのも、楽じゃない・・・・
贅沢な愚痴が、ついこぼれる。


梅雨明け

2003年8月2日
関東地方はきょう、ようやく梅雨明けした。
やっと梅雨が明けたというのに、来週末には暦はもう立秋を迎える。
今年の夏は実質上、数日間しかないことになりそうだ。
数年前にも、こんな雨ばかりの夏があった。
かの有名な、93年の大冷夏である。
あれは、結婚して初めて迎えた夏だった。
来る日も来る日も雨で、洗濯物がちっとも乾かなくて困ったことをおぼえている。

先日夫が、「こんなに雨ばかり降る夏なんて初めてだ」と言うので、
「結婚した年の夏も、雨ばかりの冷夏だったでしょう」と私は言った。
しかし夫はまったくおぼえていないらしく、
「こんなに雨が降る夏など過去にはなかった」と言い張る。
そこで、
「じゃ、その翌年に全国的な米不足になったこともおぼえていないの?」
と言ってやると、
「おお!あったな、米不足っ」
さすがに食べ物のこととなると、話が早い。
だてに食い意地は張っていないらしい。
さらに夫は言う。
「あの米不足って、夏に雨が降ったせいだったのか?」
はぁ?他に何か理由があったとでも?
彼にとって問題は、米がなくなったことだけであって、前後の事情や現象などはどうでもいいことなのだ。

長生きするだろう。
私の分まで。おそらく。

ディズニーシー

2003年7月31日
ディズニーシーに行ってきた。
夏休みなのに、平日のせいかけっこう空いていた。
ディズニーリゾートは、いい。
そこにいるだけで幸せ気分が味わえる。
これがまさに、ディズニーマジックなのだろうか。

TDSには「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」というたいへん人気のあるアトラクションがある。
どちらかというと絶叫系。
これと同じアトラクションが、アナハイムのディズニーランドにもある。
外見はまったく同じものなのだが、アメリカのインディ・ジョーンズは、ものすごーく恐い。
泣くほど恐い。
あっちはまさに絶叫系コースターなのである。
アナハイムで先にインディを経験していた我が家は、シーに同じアトラクションができたことを知り、最初は乗るのを躊躇した。
あの恐怖が甦ってきて、二の足を踏んでしまったのだ。
しかし。
全身の勇気を振り絞って乗ってみて、唖然・・・。
すっかり拍子抜けしてしまった。
シーのインディは、とても優しいのである。
海を越えてインディ・ジョーンズは、楽しいアトラクションに様変わりしていた。
まるで、恐怖のDVカレシが、海外から帰国したとたんに優しい男性に変貌していた、という感じだ。
まぁ、いいか・・・。
いろいろ味わえたし。

とりあえず、「インディ」はLunaイチオシの、おすすめのアトラクションだ。



花火大会

2003年7月26日
昨日、花火大会に行ってきた。
たいへんな人出だった。
景気が悪くなればなるほど、花火のような無料で楽しめるイベントは盛り上がるものらしい。

打ち上げ開始後1時間ほど経った頃に、トイレへ行くため席を立った。
イベントにつきものの仮設トイレである。
行ってみて、驚いた。
8個ほどある個室の前に、それぞれに30人ほどの行列ができているのだ。
混んでいることは覚悟していたが、ここまでとは思わなかった。
仕方ない。腹をくくり、私も行列に加わることにした。

背後で次々に上がる花火を見上げつつ牛歩していると、やがて、私の前に並んでいる若い女性の様子がおかしいのに気づいた。
キャミソールにミニスカートといういでたちのその女性は、身体をモジモジさせながら終始足ぶみをしている。
そして時折その場にしゃがみこんでは、また立ち上がってモジモジ。
かわいそうに・・・。
同情はするが、後ろに並ぶ私にはどうしてあげることもできない。
そして、待つこと20分。
やっとトイレのドアが見える所まで列は進んできた。
その時、私の前の前に並んでいた中年の女性が、彼女に囁いた。
「お先に入りますか?」
今にも泣き出しそうな顔でいよいよ激しくモジモジしていた若い彼女は、
「いいんですか?いいんですか?」と何度も繰り返す。
「お先にどうぞ。私は、まだ大丈夫ですから」
その中年の女性は、キャミソールの彼女の目には女神様のように映ったことだろう。
ありがとうございます、と何度も何度も言いながら、彼女は個室のドアを開けて中に消えた。
人の優しさも、捨てたものじゃない。
他人事ながら、ちょっぴり嬉しい出来事だった。


サーカス

2003年7月22日
有明コロシアムで、ボリショイサーカスを観てきた。
サーカスは好きで、機会があれば観に行く。
ボリショイも過去に何度か観てきたが、観るたびに技が一新されているので驚いてしまう。
特に凄かったのは、空中ブランコ。
いつもながらではあるが、命がけの大技の連続だ。
ビルの4階くらいはゆうにあろうと思われる高さからまっ逆さまに転落して見せる技などを見ていると、もしもあれを演じているのが自分の恋人だったら・・・とか、我が子だったとしたら・・・などと思わず考えてしまう。
私のような意気地なしは、愛する人の離れ業など正視に堪えないだろう。
辞めて欲しい、と請うに違いない。
考えただけで、涙ぐみそうにさえなる。

しかし、これがもし夫だったら・・・・と考え及ぶんだ時、またちょっと気持ちが異なることに気づく。
生活かかってるんだから仕方ないでしょ。怪我しない程度にやって頂戴。
と、どうしてもこうなってしまうのだ。

本妻は、冷酷。
「生活」が女を鬼にする。

ホテル

2003年7月20日
家族と離れて、都内のシティホテルに一泊してきた。
日常を忘れて羽を伸ばす快感!
眠りたい時に眠り、美味しいお食事をいただき、10数年ぶりにボーリングを楽しんだりもしてきた。
自分自身を取り戻すために、時にこんな日があってもいい。
小さな夏休みだったけれど、最高の二日間だった。



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